石仏と私の出合いは数年前に路傍の馬頭観音に出合ったこと・・・・・・と思いこんでいたのですが、よくよく思い出してみれば、それよりも数年前に栃木県宇都宮市で高さ4メートルもある巨大な石仏(大谷寺の千手観音・イラスト参照)に出合っていたのでした。

 

ただ、それがあまりに大きく、神秘的な印象だったために、「石仏」というより「壮大なる何かに圧倒された」という半ばトラウマ的な体験として心に残っていたのです。しかも、その石仏は、空海の作とされていますので(史実としてどうなのかは分かりません。公式サイトには「実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した」という説が掲載されています。数多く残る空海伝説の一つとして解釈すればいいと思います)

いずれにしても、大谷寺の千手観音との出合いは、同時に、私と「空海」という偉大な存在との出会いでもありました。


空海の作品とされている大谷寺の千手観音

 

最近では、仏像も手軽なフィギュアのようなイメージで再開発されたりして信仰の対象となっていますが、シンプルに考えまして、大きいものは見るだけで「デカイ!」と強烈なインパクトがあり、心に残りやすいものです。巨大な石造物は、存在だけで人々の心の中にタネを植え付けることができるのでは。自身の経験からそう思います。

 

実際、大谷寺の参拝の時には意識していなかったのですが、空海作の石仏とされている千手観音にお参りしてからというもの、空海と「ご縁」ができたようで、今ではすっかり空海のファンになり両界曼陀羅を部屋に飾っています。

 

それにしても、もし大谷寺の千手観音が本当に空海の作、ということになれば、空海に「凄腕の石工」としての、もう一つの顔があったということになります。それ、気になりませんか?

 

先日も、千葉県の鋸山日本寺に参拝した時に、秘仏として「空海が一夜にして彫刻した大黒様の石仏」がお祀りされていました。これも史実としての真偽は分かりませんが、もし本当だったら、空海はやっぱり凄腕の石工でもあるのでは・・・・・・と考えさせられました。

 

むしろこうも考えられます。人々は「職人の腕」にこそ神仏の力を見出していたかもしれません。作品を見た民衆が「すごい作品だ」→そこに民衆の空海への信仰が絡む→こんなにすごい作品であれば、空海が作ったに違いない・・・・・・という文脈で、結果として、全国各地に空海作、とされる作品が点在することになったと解釈すると、すんなり解けます。

なお、実際に石を削って見るとわかるのですが(あまりの難しさに、私は2秒で挫折しました)腕に神仏が宿っているレベルで集中できないと、手彫りの石の作品というものは完成しません。私は空海関連の石像物に参拝するたび、まるでワープするかのごとく人生のコマが良い方向に進んだりするのですが、おそらく石工さんが一心に彫った石造物には「念」というか、「特別な力」が宿っており、そこに功徳が発生するのではないかと感じることが多い今日この頃です。

 

 

鋸山日本寺の秘仏が納めたれているお堂

 

 

 


 

愛知県・大井聖崎に建立された空海の石像。海と空と一体化しており

空海の存在のスケール感を存分に表現した名作です