楽しい石入門 3時間目「国産の石が辿った歴史を調べる」

産地から建物に辿り着くまで

記者 先生、今回で3時間目です。今日もよろしくお願いします!

先生 こちらこそ。今回も楽しくいきましょう。

記者 ところで、先生は石の産地に直接足を運ばれることもあるそうですね。

先生 あら、よく知っていますね。それは昔に採れていた石がいつ頃、どんな風に採掘されていたのかを調べていたんです。

記者 なんでまたそんなことを?

先生 最初は昭和初期の近代建築で国産の石がどれくらい使われていたのかを知りたくて、都内のいろいろな建物を訪ねていたんです。ただ、公的な建物でも中には石の産地がわからないところがあったり、とくに民間の洋館などはあまり記録も残されていない。そこから産地にも興味が湧いてきまして。

記者 えっ、公的な施設でも使用された石の記録というのは、意外と残っていないものなんですね。

先生 さすがに国会議事堂などは、きちんとした記録が残されていますけどね。だから「これはもう自分の足を使うしかない」と思い立って、もちろん建物の石を削って持ち帰るのは無理ですから、写真に撮って詳しい方に見てもらったり。あるいは産地を見学させてもらいながら、ここから出荷された石がどういう経路を辿って都内の建物に辿り着いたのか?そういうことを少しずつ調べているんです。

国会議事堂:外装は3種類の花崗岩を使用している

記者 すごい。まさに研究者という感じですね。

先生 うれしかったのは、私以外にもそういうことに興味を持ってくださる人が増えてきたこと。「うちの石がどこで使われているのか教えてほしい」という産地の方もいたりして、今では歴史を記録していくことに大きな価値があると感じているんです。

記者 なるほど~。ちなみに先生は産地で傷のある石ばかりを探して、「こんなところにいい傷が」などと非常に喜んでいらっしゃったそうですね(笑)。

先生 それはまあ、調査とは直接の関係はないんですけれど…(笑)。

記者 山石屋さんが「普通の石屋さんとは正反対の視点だ。さすがに大学の先生は違うな…」って驚かれていましたよ(笑)。

先生 ただ、石の傷というのはマグマが固まっていく過程やその後に起きた事柄を記録している可能性があるんです。その傷ができたときの温度や硬さ、あるいは水が関与していたかどうか、黒い部分は何が捕獲されているのか?などなど。石の傷というのは、様々な意味で岩石学的な興味を誘われるんです。

 

地震が石の多様性を生む

記者 ところで傷といえば、よく石屋さんが「玉石は傷が多い」という言い方をされますよね。あれはなんというか、学術的にも根拠みたいなものはあるんですか?

先生 う~ん。元は一緒だと思いますよ。

記者 そうなんですね。じゃあ玉石というのは、もともとは岩盤だけど、周りが風化したことでたまたま玉のかたちになっているだけというか…。

先生 それよりも石の違いというのは、それぞれの石ができた場所や時代のほうが要因としては大きいと思います。

記者 たとえば火成岩でいうと、地下のどこにあるマグマが、いつ地表近くに上がってきたのか?などということですか。

先生 なにしろ、それぞれの火山によってもマグマの組成は違いますからね。それにもっといえば、同じ火山でも時代が変わればマグマも変わる。当然、石も変わってくるわけです。とくに日本は、一口に火成岩といっても多様性に富んでいますからね。

記者 えっ、ほかの国とは違うんですか?

先生 ものすごくわかりやすくいうと、日本は地震が多いですよね。地震というのは、地下のプレートの運動によって生ずる現象ですが、そのときに地表の物質、たとえば海洋地殻やその上に堆積していた泥や海水などが、日本の下に入り込んでいくんです。

ですからマントルだけが融けたマグマと、マントル以外にもいろいろな物質が融けているマグマでは、そこからできる火成岩だって違ってくるわけです。

今回も丁寧な説明をしてくださる乾先生

記者 なるほど~。地震大国であるがゆえに種類が多い。それが日本の石の特徴なんですね。

先生 さらに付け加えると、日本の地下は温度も様々だといえますから、マントルが融けるときの温度の違いによってもマグマの組成は変わってくる。これも多様性の理由の一つといえるでしょうね。

 

時代ごとの変化を調べる

先生 そんなこともあって、今後は首都圏を中心に調査の対象をもっと広げていこうと思っているんです。

記者 確かに石の種類が豊富だと、調査もやり甲斐がありそうですね。

先生 そうなんです。これくらいの時期までは徳島県産、昭和に入ると山口県産が増えてくるとか、時代ごとの移り変わりがわかってきたら面白いんじゃないかと思いますよ。

記者 じゃあ、これからもたくさんの産地や建物を見て歩く感じですか。

先生 ひとまずは明治の末から昭和初期くらいまでの時代にしぼろうと考えています。その期間に首都圏で大きな工事があったとき、果たしてどれだけの石材の選択肢があって、どういう風に使われたのか?建物の石と産地の石を少しずつ照らし合わせていって、国産の石が辿った歴史を整理していくつもりです。

記者 それはすごく興味ありますね!もしよかったら、この連載でもたまに途中経過を報告していただけるとうれしいです。今回もありがとうございました!

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