石のマガジン | 石材のことが日本一わかるサイト、いしマガ https://www.ishimaga.com 石材のことが日本一わかるサイト / いしマガ Fri, 02 Feb 2024 03:07:31 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.3 https://www.ishimaga.com/wp-content/uploads/2021/08/cropped-favicon-32x32.png 石のマガジン | 石材のことが日本一わかるサイト、いしマガ https://www.ishimaga.com 32 32 銘店“石屋”シリーズ  有限会社 岡本石材(香川県高松市牟礼町) https://www.ishimaga.com/5145?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e6%259c%2589%25e9%2599%2590%25e4%25bc%259a%25e7%25a4%25be-%25e5%25b2%25a1%25e6%259c%25ac%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25ef%25bc%2588%25e9%25a6%2599%25e5%25b7%259d Fri, 02 Feb 2024 03:04:35 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5145 お客様の声にしっかりと耳を傾け、一つひとつ丁寧な仕事・対応を心がけています。 日本の三大石材産地のひとつ、香川県高松市の牟礼町に工場・店舗を構える有限会社岡本石材は昭和35年に創業。優れた加工技術と丁寧な仕事ぶりが評価さ […]

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お客様の声にしっかりと耳を傾け、一つひとつ丁寧な仕事・対応を心がけています。

日本の三大石材産地のひとつ、香川県高松市の牟礼町に工場・店舗を構える有限会社岡本石材は昭和35年に創業。優れた加工技術と丁寧な仕事ぶりが評価され、全国各地の石材店から寄せられる墓石の加工受注に対応しながら、エンドユーザーに向けた墓石の提案・販売・施工において高い実績を持っています。同社二代目の岡本俊之さんに、お話をうかがいました。

岡本俊之さんと奥さまの岡本嘉津子さん

岡本俊之さん(昭和38年生まれ)
創業者である父・岡本實さんの後を継ぎ、お墓に関する幅広い仕事に対応。お客様の満足度と共に、自分自身の技術・知識を高める努力を怠らず、様々な資格(福禄寿会建墓建塔造塔学博士・全優石認定お墓相談員・お墓ディレクター1級など)も取得。石を活かした多彩なものづくり、お客様の想いをカタチにするお墓づくりにも力を注いでいます。

―はじめに御社の創業について教えてください。

岡本 牟礼町で生まれ育った初代の父は6人兄弟の長男ということもあって、中学を出て「すぐに働かなくては」と考えた就職先が、手に職を付けられる石屋さんでした。自宅近くの石屋さんで6年、別の石屋さんで2年ほど修業していた中で、親方である始めの石屋さんから「事業を閉じるので、取引先を継がないか」と声をかけてもらい、独立することに。それが岡本石材の始まりです。
当時、父はまだ20代でしたが、それまでの8年間で習得してきた技術を活かし、墓石の加工をメインとした工場として創業。以来、当社では墓石の加工・販売・施工を中心に仕事をしています。

―岡本さんが家業へ就いた経緯を教えてください。

岡本 小さい頃から我が家が仕事場だったので、父の仕事をよく見ていました。長男だったこともあり、自然と「石屋をやるんだな」と思って育ってきました。高校3年の時に、そのまま家業へ入ろうかと考えていたのですが、姉から「大学へ行った方が良い」とアドバイスをもらい、父の許可も得て大学へと。
その後、卒業と同時に石屋になるつもりでいたのですが、4年生になって周りが就職活動をしているのを見ながら「石屋になる前に別の仕事を経験してみることも大切ではないか」と思うようになり、「後悔したくない」という気持ちもあって、総合商社へ就職することを決めました。
この会社の不動産部で社会人としてのイロハを教えていただきました。営業担当だったのですが、毎日不動産について勉強しながら、どうしたらお客様から信用される営業マンになれるかを常に考え、試行錯誤を重ねていたことを、今でもよく覚えています。
その後、その会社で責任のあるポジションを用意いただけるという話を頂戴したのですが、そこへ足を踏み入れると石屋になるタイミングを失ってしまうと思い、上司にも納得いただいた上で、家業へ就くことを決めました。

―石の仕事はどのようにして覚えていったのでしょうか。

岡本 高校・大学時代、休みの日などに手伝いをしていたので、何となくの作業はわかっていたのですが、本格的に仕事をするとなると、責任の度合いも変わってきます。原石の状態から製品へと加工していく中で、もし途中で石を壊してしまったら、それまでの苦労は水の泡となってしまいます。また、石は自然のものですので、切って見たらスジや模様が入っていたりして、使えないものが出てくるケースも少なくありません。
そのような石の見分け方や活かし方を覚えていくのは経験を積んでいくしかなく、毎日のように職人さんに付いて学んでいきました。石と向き合う日々を重ねていく中で、徐々に原石を見る目も養われていき、責任のある仕事も父から自分へバトンタッチしていただけるようになっていきました。

有限会社岡本石材が手がけた建墓事例

―ここで少しプライベートな質問として、岡本さんの趣味や特技について教えてください。

岡本 小学6年の時から今も続けている剣道ですね。40歳の時に七段になることができ、今は八段(合格率0.5%)を目指し、仕事後や休みの日などに稽古へ通っています。
剣道で学んだことは、言葉では言い尽くせないほどたくさんあります。精神力や集中力が養われ、自分自身の腕を磨きながらも、常に相手への敬意を忘れない。人としての生き方を学べる、本当に素晴らしい武道だと思っています。ちなみに2人の息子も高校、大学まで剣道をやっていて、親子で生涯、剣道を続けていくことができたら嬉しいですね。

―岡本さんにとって人生のターニングポイントとは?

岡本 いろいろとありますが、一つは総合商社での営業経験だと思います。不動産部の仕事は、お客様のご家庭のことなど、様々な事情が絡んできます。そういった背景も踏まえながら、お客様の人生にとってより良い提案をすることを心がけていましたが、このことは、お墓の仕事に通じる部分も多く、今にも大いに活かされていることを実感しています。
もう一つは、地元の祭りで総代長を務めたことです。この祭りは地元の一大イベントで、地域の方たちが協力し合って太鼓台(ちょうさ)を地域を練り歩きながら、神社へ奉納するもの。祭りに関わる全員が力を合わせないと成し得ないもので、人と人との繋がりの大切さ、地域の方たちの温かさを身をもって経験し、総代長をやりきった時は、この町に生まれて本当に良かったと思った瞬間でもありました。
そこでの達成感が、その後の地域活動へ参加するモチベーションとなり、人が楽しんでくれること・喜んでくれることが自分の生きがいにも感じられるようになってきました。「むれ源平 石あかりロード」に長く関わっているのも、この祭りでの経験が大きな原動力となっています。

岡本さんは「むれ源平 石あかりロード」の名ガイド役としても知られています!

―お墓づくりを進める上で、心がけていることを教えてください。

岡本 当社の加工技術を活かして、質の良い、間違いのない墓石をつくること。そして、お客様が安心・納得してお墓づくりを進められるように、ほんの少しでも不安や疑問に思うことにしっかりと耳を傾けて、丁寧に説明・対応することを心がけています。
お墓づくりは一生に一度ともいわれるもの。お客様からすると、わからないことも多くあるはずです。そのような大切なお墓づくりに向き合う上で、お客様からの質問に「わからない」ということがあってはなりません。そのために、今もお墓の勉強会へ定期的に参加し、プロとしての知識を高めるように努力しています。

―最後に今後の目標を教えてください。

岡本 私どもの会社は、日本を代表する銘石「庵治石」が採れる町にあり、地元の多くの石屋さんと地域の方たちに支えられて、今があると思っています。このご恩に報いるためにも、地元の方たちから信頼され続ける会社になれるよう、これからも精進していきます。
また、お墓づくりを通して多くの方に幸せになっていただきたいという想いも強く、一つひとつ丁寧な仕事・対応を徹底しながら、「お墓を建てて本当に良かった」と感じていただけるお客様が一人でも多く増えていくように、『幸せのお墓づくり』を心がけて、努力していきたいと思っています。

 

有限会社 岡本石材

所在地:香川県高松市牟礼町牟礼2510-5
TEL:087-845-2724/FAX:087-845-2817
ホームページ:https://okamoto-sekizai.com

いしマガ取材メモ

高松市の夏の風物詩といえるイベント「むれ源平 石あかりロード」の実行委員長を長く務め、ロード上にならぶ石あかりの名ガイド役としても知られる岡本さん。数人の参加者でガイドをスタートしても、ユーモアを交えた語りの面白さにつられ、気が付けば数十人もの集団になっていることも。お客様からも「何でも聞きやすい」と言われることが多いそうで、取材時も、笑顔で気さくに対応いただける姿が印象的でした。岡本さんの奥さま(嘉津子さん)と職人さんの人柄の良さ、アットホームな雰囲気も岡本石材の大きな特徴。お墓づくりを考える際には、ぜひお話を聞いてみてはいかがでしょうか。

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銘店“石屋”シリーズ  鈴木石材店(愛知県刈谷市) https://www.ishimaga.com/5129?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e9%2588%25b4%25e6%259c%25a8%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e6%2584%259b%25e7%259f%25a5%25e7%259c%258c%25e5%2588%2588%25e8%25b0%25b7 Mon, 18 Dec 2023 08:22:03 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5129 ご満足いただけるお墓をつくり、それを長く守り続けていきたい。 祖父の代から、地元の愛知県刈谷市でお墓をつくり続けている鈴木石材店。現在は二代目にあたる鈴木伸宏さんが、祖父の遺志を継いで日々のお墓づくりに勤しんでいます。今 […]

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ご満足いただけるお墓をつくり、それを長く守り続けていきたい。

祖父の代から、地元の愛知県刈谷市でお墓をつくり続けている鈴木石材店。現在は二代目にあたる鈴木伸宏さんが、祖父の遺志を継いで日々のお墓づくりに勤しんでいます。今回はそんな鈴木さんに、石屋さんを継いだときの想いや、お墓を建てるときにいつも大切にしていることなどを聞きました。

鈴木伸宏さん(1971年生まれ)
鈴木石材店の二代目。お墓に関する幅広い知識と教養を備えた「お墓ディレクター(2級)」として、誰からも安心してもらえる石職人を目指しています。

―まずはお店の歴史から教えてください。

鈴木 今から80年ほど前に、他の石屋さんで修業した祖父が独立して始めたお店です。ちなみに父は別の仕事をしていましたので、私が二代目として祖父から仕事を譲り受けたかたちです。

―鈴木さんが仕事を受け継いだのは何歳のときですか?

鈴木 24歳くらいの頃、祖父が亡くなってしまったときに、「このままお店を畳んでしまうのは惜しいな」と思ったのがきっかけです。ただ、父は「やりたいならやってみろ」と言ってくれたのですが、母からは「石屋さんは大変だからやめておけ」と忠告されましたね(笑)。

鈴木石材店による建墓例①

―それでもやろうと思ったのはなぜですか?

鈴木 もともと私は土木や建築関係の仕事をしていたのですが、そのときが仕事を辞めたタイミングでもあったんです。ただ、それ以上に祖父のことが好きだったというのが大きいですね。
幼い頃から、祖父が大きな石を運んでいるのを見て「すごいな~」と尊敬していましたし、自分も真似をして、そのへんの小さな石を積んで遊んでいたのをおぼえています(笑)。ですので、心のどこかに「自分も大人になったら石屋さんになりたい!」という気持ちがあったのだと思います。

―すでにお祖父さまが亡くなっていたのに、どうやって仕事をおぼえたんですか?

鈴木 まずは祖父が一緒に仕事をしていた石職人さんのところへ相談に行きました。そうしたら「とりあえずは仕事を取れ」と。「仕事が取れたら手伝いにきてやるから、現場で仕事をおぼえろ」とおっしゃっていただき、一つひとつの仕事を通して、その方からいろいろなことを教えていただきました。
あとは、仕事をしていくうちにいろんな方と知り合えたのも良かったです。ちょうど石製品の卸会社に中学時代の一つ上の先輩がいたので、その方にほかの石屋さんを紹介していただいたり、地元の若手を集めた「東海ストーンクラブ」という団体に入れてもらったりして、わからないことは周りの人たちにどんどん質問していきました。今から思うと、本当にいろんな方から支えられて今があるんだな、と思っています。

―ちなみにご趣味はなんですか?

鈴木 小学校から中学校までサッカーをやっていて、もう少し大きくなってからはバイクや車が好きになったんですが、今も好きで続けているのは結局サッカーですね。
30年くらい前に「ドーハの悲劇」というのがあったでしょう?その後にJリーグが始まってサッカー人気が盛り上がってきた頃に、知り合いがチームを立ち上げるというので自分も参加したんです。それからはずっと続けていますよ。今はシニアのチームにいて、少し前の大会で愛知県の2位になったこともあるんです。
もちろん試合は大変ですけど、お酒も大好きなので、「勝ってみんなでうまいビールを飲もう!」というのがモチベーションになっています(笑)。

―お墓を建てるうえで、もっとも大切にしていることはなんですか?

鈴木 お墓づくりは家を建てるのと同じで、一生に一度の買い物ですから、きちんと安心していただける石屋さんであり続けたいと思っています。そのために、日本石材産業協会という一般社団法人が認定している「お墓ディレクター」という資格も取得しました。
それと、「ほかのお店だと値段の話しかしてくれない」という声も聞きますが、私のところは決してそんなことはありません。お墓を建てることは初めてのことで不安に思っていらっしゃる方も多いでしょうから、まず石に関する詳しいご説明をしたうえで、「誰のために建てるのか?」といった、お客様一人ひとりの想いについてもしっかりと耳を傾けています。

鈴木石材店による建墓例②

―鈴木さんにとって、石屋さんという仕事の魅力はなんですか?

鈴木 お墓づくりを通して、多くのお客様から喜んでいただけることですね。それこそ涙を流してくださる方もいて。そういうのは本当に心にグッときますね。若い頃には人から感謝されるような機会って滅多にありませんでしたから(笑)、「こんな自分でも感謝していただけるんだな」という、そういうありがたみが一番のやりがいになっているのは間違いありません。

―最後に今後の目標を聞かせてください。

鈴木 少し話は逸れるんですけど、近所の方で、よくお店へ遊びに来ていただきながら、いつも「俺は墓なんかいらん」と言っていた方がいたんです。でもあるとき、「親父が亡くなったからお墓を建ててくれ」と言われて。涙を流しながら「親父を亡くしてみて、初めてお墓が大事だってわかった・・・」と。
そのときのことが強く印象に残っているのですが、お墓は遺された方々が亡くなられた方のことを想い、感謝を伝えると同時にご供養も行なっていく、とても大切なものだと思うんです。ですから自分も、お墓が必要な方に向けて、全力で、必ず満足していただけるものを届けていく。それが一番の目標です。
あと、この仕事をしていると、今でもお客様から祖父の名前がときどき出てくるんです。そういうことがあると、改めて「祖父の代からこれまでの間に、うちで建てさせていただいたお墓をちゃんと守っていかなくては」と、気が引き締まる瞬間でもあります。
きちんとしたお墓をつくり、お墓を建てた後もしっかりとサポートを行なっていく。いつまでも、そんな石屋さんであり続けたいと思っています。

鈴木石材店

所在地:愛知県刈谷市御幸町6-46
TEL:0566-21-1413/FAX:0566-70-9311
ホームページ:http://www.boseki-hakaishi.com/

いしマガ取材メモ

「これまでにたくさんのお客様と周りの仲間に助けられてきた」という鈴木さん。今も人と人とのつながりをとても大切にしており、もしも困っている仲間がいたら、すぐ助けに行くようにしているのだとか。そんなエピソードからも、誠実で心優しい人柄が感じられました。 さらに同店は、気になる墓石があったら、その都度の細かい見積もりが可能。トータルの費用がわかりやすいので、「外柵などほかの部材も入れたら、結局は高額になってしまった・・・」などということもありません。相談も無料ですから、ぜひお気軽にお店まで足を運んでみてください。

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銘店“石屋”シリーズ  有限会社 仲川石材(長野県下伊那郡) https://www.ishimaga.com/5114?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e6%259c%2589%25e9%2599%2590%25e4%25bc%259a%25e7%25a4%25be-%25e4%25bb%25b2%25e5%25b7%259d%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25ef%25bc%2588%25e9%2595%25b7%25e9%2587%258e Mon, 18 Dec 2023 07:31:04 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5114 いつまでもお客様への感謝の気持ちを大切にしていきたい 大正10年に創業し、令和3年で100周年を迎えた長野県下伊那郡の有限会社 仲川石材。現在は長男の仲川正博さんが社長、次男の孝志さんが専務として会社を切り盛りしている。 […]

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いつまでもお客様への感謝の気持ちを大切にしていきたい

大正10年に創業し、令和3年で100周年を迎えた長野県下伊那郡の有限会社 仲川石材。現在は長男の仲川正博さんが社長、次男の孝志さんが専務として会社を切り盛りしている。今回は同社の歴史や強み、さらに仕事のやりがいから今後の目標まで、お二人に語っていただいた。

仲川正博さん(昭和40年生まれ)・仲川孝志さん(昭和41年生まれ)
創業者である祖父の仲川鶴男さん、2代目である父の仲川覚さんの後を継ぎ、兄弟で同社を運営。兄の正博さん(右)が営業と現場手配などを、弟の孝志さん(左)が加工や施工などを中心に担当し、それぞれの役割分担を明確にすることで強い信頼関係を築き合っている。

―まずは会社の歴史について教えてください。

正博 この会社は、私たちの祖父が、かたちとして永遠に残る「石の魅力」に惹かれ、大正10年に創業したと聞いています。その後は2代目の父が自社工場の機械や設備を充実させて、現在は私たち兄弟が3代目を継いでいます。ちなみに弟は、私よりも先に石屋の仕事を始めているんです。

孝志 私は高校のときから家の仕事を手伝っていました。たしか工場ができる少し前、昭和57年頃からだったと思います。それで実は私の下にも弟がいまして、その弟は三重県鈴鹿市の石材店で働いているんです。

―社長はいつ頃から石屋さんのお仕事に?

正博 私はもともと経理の勉強をしていたんですけれど、会社がすごく忙しい時期に、父が怪我をしたこともあって「手が足りないから戻ってこい」と。今から振り返ると、あのときが自分にとってのターニングポイントでしたね。戻ってきたときはお墓を建てるのがブームのような時期で、工場の機械が毎晩夜の11時頃まで稼働していたのを記憶しています。

(有)仲川石材による国産墓石の建立例

―御社の強みはどのようなところにあるとお考えですか。

正博 今は洋型のお墓を製品の状態で仕入れることが多いのですけれど、一方で和型のお墓は原石から自社工場でつくっていくこともあり、そうした技術力は当社の強みではないかと思っています。
あとは「うちにしかできないことをやろう」と思って、亡くなった方のお顔を戒名の上に焼き付けるレーザー彫刻を始めたり、お墓に屋根をつけるようにしたり。そういった新しいことにはいち早く挑戦するようにしています。

孝志 それに父の代からの信用も大きいと思います。父は仕事一筋の人間で、お客様が来られると、いろんなところに案内して自分の仕事を見てもらうなど、非常に面倒見のいい人でした。そういったお客様に安心感を持ってもらうための努力は、建立後のアフターサービスなども含め、私たちもしっかりと受け継いでいるつもりです。
あとはもう一つ、韓国で墓石づくりを指導されていた方が、うちの会社に来てくれていた時期がありました。その方から加工などの技術的なことだけでなく、展示や宣伝のやり方まで、本当にたくさんのことを教えていただいて。あのときの5~6年間で、会社にとってすごく大きな影響を与えてもらったと思います。

―ここで少しプライベートな質問として、お二人の趣味や特技について教えてください。

正博 私は音楽が趣味で、中学、高校と学校の吹奏楽部でトランペットを吹いていました。その後はしばらく楽器を触っていなかったのですが、会社を継ぐために戻ってきた頃に、「信州博」というイベントに合わせて地元で吹奏楽団を結成することになり、私が団長や指揮などを任されることになったんです。その楽団は今も続いていて、よく演歌やクラシックなどを演奏しています。

―孝志さんはいかがですか。

孝志 若い頃はオートバイが大好きで、工業系の高校に通っていましたから、よくエンジンなども自分でバラしたりしていました。それで何台も壊しましたけどね(笑)。
ただ、それも昔の話でして、ここ10年ほどは篆刻(てんこく)と刻字(こくじ)にハマっています。うちの仕事を手伝いに来ていた方から誘われたのがきっかけなのですが、やってみたら面白くって。これまで書道の経験はなかったのですが、昔から「あんな風に書けたらいいな」と思っていたこともあり、先生に教えてもらいながら、「こんな世界もあるんだな」と。最近はつくったものを名古屋や東京の展示会などにも出させていただいています。

工場には石材加工機械が充実

―石屋さんという仕事のやりがいは、どのようなことだと感じていますか。

正博 やっぱり、お客様から喜んでいただけることですね。自分たちのやったことに対しての評価が、かたちとして見えるというのは大きいです。

孝志 お客様からお墓が完成したあとなどに連絡をいただいて「良かった」と言っていただいたり、「きれいにできとった」と喜んでもらえたりというのは、すごくうれしいことですね。

正博 そして、そういったお言葉を頂戴できることが、次の仕事に向かうときの原動力にもなっていく。本当にお客様に対しては感謝の気持ちしかありません。

―感謝といえば、御社が定期的に行なっているお祭りイベントも、そうした感謝の想いを伝える意味があると聞きました。

正博 そうですね。最初は当社オリジナルの石窯で焼いたピザなどを振る舞いながら、お墓相談を受け付けるというかたちで始めたのですが、まず何よりも「これまでのお客様や地域の皆さんに楽しんでもらうこと」を目的にしています。

孝志 いってみれば感謝祭のようなものですね。もっとも今は、コロナ禍でなかなか開催するのがむずかしいのですけれど。

正博 そのほかの取り組みでいうと、お墓を建ててから2年間の限定で行なっているお施主様へのお誕生日プレゼント。これは父の代から続けていることですが、お施主様からも好評をいただいており、これからも続けていきたいと思っています。

(有)仲川石材オリジナルの石窯も製作

―最後に今後の目標を聞かせてください。

正博 まず一つは、今も申し上げた感謝の気持ちを大切にしていくことです。また現在、大掛かりな仕事にもしっかりと対応できるように、機械の修理や点検も進めているところですが、自社工場で石を加工できるという強みをもう一度見直しながら、石を通じて地元に貢献できる会社でありたいと考えています。

孝志 現在、兄の一番下の子どもが農業高校に通っていて、庭木などの勉強をしていますから、いつかはこの仕事を受け継いでいってもらえたらうれしいです。花などは葬儀にも関係してくることなので、これまでと違う新しいかたちの石屋になっていってくれるんじゃないかと期待しています。

正博 そのためには、どこかのタイミングで弟の技術を学んでもらうことも必要になってくるので、そのときは、ぜひお願いね(笑)。
当社も創業100年を迎えることができましたが、今後、会社を継続していくためには、もっともっと努力していかなければなりません。これからも様々な取り組みに挑戦していくつもりですが、その大前提として、お客様への感謝を忘れない石屋であり続けたいと思っています。

有限会社 仲川石材

多くの来場者で賑わうお祭りイベントも企画

所在地:長野県下伊那郡下條村睦沢220
TEL:0260-27-3516/FAX:0260-27-2166
ホームページ:http://maruturu.com/

いしマガ取材メモ

同社のお祭りイベントについて、ここで少し補足しておきたい。初めて開催されたのは今から6年ほど前。毎回さまざまな企画を立ててバージョンアップを繰り返しながら、現在では多くの人が足を運ぶイベントに成長している。地元の賑わい創出に成功した事例として、テレビ局の取材が入ったこともあるそうだ。こうしたイベントを定期的に開催していけるのも、正博さんと孝志さんの兄弟関係が非常に良好であるからこそ。今回の取材時においても、お互いに信頼し合っている雰囲気が強く伝わってきた。このような兄弟ならではの息の合った家族関係も、安心してお墓づくりを任せられるポイントになっていることだろう。

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銘店“石屋”シリーズ  鶴田石材店(愛知県名古屋市) https://www.ishimaga.com/5079?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e9%25b6%25b4%25e7%2594%25b0%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e6%2584%259b%25e7%259f%25a5%25e7%259c%258c%25e5%2590%258d%25e5%258f%25a4 Wed, 23 Aug 2023 07:00:39 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5079 国産材と国内加工の魅力を多くの方に知ってもらいたい。 地下鉄八事駅から徒歩数分、八事霊園のすぐ近くに店舗を構えている鶴田石材店。常により良いお墓づくりを追求・探求しながら、昭和初期の創業時より数多くの建墓実績を重ねてきて […]

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国産材と国内加工の魅力を多くの方に知ってもらいたい。

地下鉄八事駅から徒歩数分、八事霊園のすぐ近くに店舗を構えている鶴田石材店。常により良いお墓づくりを追求・探求しながら、昭和初期の創業時より数多くの建墓実績を重ねてきています。同社の三代目・井上和広さんにお墓づくりのこだわりや大切にしていることなどを聞きました。

井上和広さん(昭和37年1月生まれ)
趣味はお墓を見に行くこと。平成7年に阪神淡路大震災が起こった後、いち早くお墓に耐震構造を取り入れるなど、より良いお墓づくりに繋がることは積極的に取り入れていく姿勢を大切にしている。

―まずは会社の歴史を教えてください。

井上 創業したのは昭和の初め頃だと聞いています。もともと初代の方は笠寺の出身だったのですが、八事霊園ができると聞いて、ここに店を構えたのが始まりだそうです。

―井上さんが店を継いだのはいつ頃でしょうか。

井上 ここはもともと妻の実家なんです。結婚したのは29歳のときで、妻は事務や現場の仕事などを手伝っていましたが、私自身はサラリーマンで別の職業に就いていました。
ただ、妻が妊娠してからも実家の仕事を手伝っていると聞き、それは少し心配だなと。そこで少しでも助けになればと思って、最初はサラリーマンをやりながら、週末だけ手伝うようになったんです。
そうして現場で作業しながら義父と話していると、子どもたちが3人とも女性なので、後を継ぐ人がいないと言うんですね。その話を聞きながら「自分の代で終わってしまうのは寂しいのかな」と感じました。私もずっとサラリーマンを続けるつもりはなかったこともあって、義父にお願いして、こちらの道で生きていこうと決めたんです。

―現在のおもな仕事内容はなんですか?

井上 メインはお墓づくりです。すぐ近くの八事霊園と、緑区のみどりが丘公園、あとは千種区の平和公園という3箇所の霊園で仕事をすることが多いですね。

―とくに大切にしていることはありますか?

井上 15年ほど前から、国産材の石を使った国内加工のお墓にこだわっています。私が働き出した当時は、普通に中国製品のお墓を売っていましたし、たとえ国産材でも加工は中国で行なうのが当たり前の状況でもありました。それで、あるとき「なぜ日本の石なのに、国外で加工しなくちゃいけないのか?」と思うようになって、いろいろ外に出て勉強するようになったんです。
そうしたら、国内でがんばって加工している石屋さん(加工メーカー)が想像以上に多いことに気付かされまして。それから、そういうメーカーさんにがんばってもらいたいという気持ちもあって、お客様にも積極的に勧めるようになりました。
やっぱりお客様にとっても、加工した人の顔がきちんと見えているほうが安心だと思いますしね。もちろん、中国加工のお墓を選ばれるお客様もいらっしゃいますが、そういう場合も、国内加工との違いなどは包み隠さず、すべて正直にお伝えするようにしています。

鶴田石材店が手がけた国産石材を使用した国内加工の墓石建立事例 ①

―プライベートで、趣味などがありましたら教えてください。

井上 若い頃はスキーが好きで、よく一人でも行っていましたが、今はなんでしょうね。しいてあげるとしたら、お墓の勉強でしょうか。
とくに加工について学んでいく中で、「叩き仕上げ(石工道具を使い、石の表面に細かい凹凸をつける仕上げ)」の美しさに興味を持つようになりました。一般的には石をツルツルに磨く「磨き加工」のお墓が当たり前になっていますけど、どちらを選んだほうがいいかは、石の種類によっても変わってくると思うんです。
とくに淡い色調の御影石などは、「叩き仕上げ」によって石本来の趣が出てきますからね。今は、そういった石の良さや特徴を活かしたお墓づくりを進めていきたいと考えています。
あとは、昔のお墓を見に行ったりするのも好きです。いろんなかたちがあって、本当に勉強になります。

―お墓をつくることのやりがいはなんですか?

井上 今はもう亡くなってしまいましたけれど、お墓について学ぶ勉強会を主宰していた小畠宏允先生という方がいらっしゃいまして、私もいろいろな勉強をさせていただきました。その先生が、あるとき「お墓があるからお参りをするのではなく、お墓参りするためにお墓をつくるんだ」と言われたことが、とても強く印象に残っています。
その言葉を聞いてからは、私自身の考え方も大きく変わりました。つまり、お参りをしてご先祖を供養することが大切なんですね。私はお墓を建てることで、そうした供養のお手伝いをさせていただいているようなもの。そこには大きなやりがいがあると感じています。
しかも仏教的な思想では、きちんと供養を行なえば、いいことが返ってくるそうです。それならば、供養のお手伝いをさせていただいている自分たちも良い行ないをしていることになる。仕事としてお金をいただきながら功徳を積めるなんて、こんなにありがたいことはありませんね。

―最後に今後の目標を教えてください。

井上 石屋として「こういう方向性で、こういうものを提案していこう」というものは確立できたと思いますので、あとはそれを継承してくれる人を育てていくことが、次のステップになるだろうと考えています。
幸いなことに、息子がこの仕事を継いでくれると言ってくれていますので、あとは少しでも早くお墓の勉強を始めてもらえればと思っています。私が外に出かけて勉強するようになったのは40代の後半からだったのですが、もしもそれより10年早く学ぶことを始めていたら、だいぶ違っていたと思います。
そういう意味でも、今すぐにでも勉強してもらいたい(笑)。ゆくゆくは、私が学んだことを息子に伝えていくのが、自分にとっての新たな目標になっていくだろうと思います。そして、地域になくてはならない、社会貢献のできる石屋であり続けたいです。

鶴田石材店

鶴田石材店が手がけた国産石材を使用した国内加工の墓石建立事例 ②

所在地:愛知県名古屋市昭和区広路町北石坂102
TEL:0120-309-148/FAX:052-831-3830
ホームページ:https://ishi-tsuruta.co.jp

いしマガ取材メモ

「好きでやっていますので、休みの日でも店は開けています」と話す井上さん。お客さんが来たら、話を聞いて、それぞれの人の想いに合わせておすすめのお墓を考えることが楽しいと。それに、積極的にいろいろなところへ出かけていって、お墓について勉強することも楽しいと話しており、まさに「お墓大好き石材店」という言葉がぴったりの方でした。
そのため、自分が建てたお墓の近くを通りがかったときは、よく立ち寄るそうです。そこで、きちんとお参りに来ている様子が伺えると、「建てさせてもらってよかった」とうれしくなり、反対にあまりお参りに来ていないお墓を見ると、さびしくなってしまうとか。そんなエピソードからも、お墓のことが大好きで仕方がないという人間性が伝わってきました。

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銘店“石屋”シリーズ  優石(北海道札幌市) https://www.ishimaga.com/5059?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e5%2584%25aa%25e7%259f%25b3%25ef%25bc%2588%25e5%258c%2597%25e6%25b5%25b7%25e9%2581%2593%25e6%259c%25ad%25e5%25b9%258c%25e5%25b8%2582%25ef%25bc%2589 Wed, 26 Jul 2023 02:32:50 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5059 ご家族の一員になったつもりで、親身になって寄り添っていきたい。 平成2年にお墓の文字彫刻・メンテナンスなどを専門とする石屋として創業し、現在も新規のお墓づくりと並行して、お墓のアフターサービスにも力を入れている優石。今回 […]

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ご家族の一員になったつもりで、親身になって寄り添っていきたい。

平成2年にお墓の文字彫刻・メンテナンスなどを専門とする石屋として創業し、現在も新規のお墓づくりと並行して、お墓のアフターサービスにも力を入れている優石。今回は同社二代目の多田雅洋さんに、仕事に向き合う上で大切にしていること・こだわりなどについてお話をうかがいました。

多田雅洋さん(昭和55年生まれ)
高校卒業後に家業を手伝い始め、28歳から4年間は千葉県の石屋さんで修業。納骨の方法など、地域によるさまざまな違いを学んだことが、今の仕事にも大いに活かされているという。

―まずは会社の歴史を教えてください。

多田 創業者は私の父である多田雄一です。ほかの石屋さんで4~5年ほど働いて経験を積んでから、現在の会社を立ち上げました。ユニークな点は、最初から文字彫刻などの小さな工事を専門にしていたことですね。なんでも創業当時は石屋さん全体が忙しかった時代で、お墓を建てた後に、そうした工事を請け負うところが少なかったそうなんです。しかし父は、「建てた後のフォローこそが大切だろう」と。困っているお客様のお役に立ちたい、という想いで会社を始めたのだと聞いています。
そして、私が父のもとで石屋さんの仕事を始めたのは、高校を卒業した18歳のときでした。実は私が15歳のときに母親を亡くしているんです。それで「残された父親に親孝行できることはなんだろう」と考えたときに、やはり父の仕事を手伝うことかな、と。その想いが、自分にとって石屋さんになる大きなきっかけになりました。

―仕事をする上で大切にしていることはなんですか?

多田 今は小さな工事以外に新規のお墓づくりの仕事も行なっているのですが、メインはあくまでも、文字彫刻や文字への墨入れ、花立の交換、目地の補修などといったメンテナンスが中心です。ですから、まずはメンテナンスについてお話したいと思います。
まず一つは予算的なことですね。たとえば文字彫刻の料金などは、札幌市内のほかの石屋さんに比べても、けっこうお値打ちな方だと思います。
そしてもう一つは、お客様にすべてを説明すること。文字彫刻は大きく分けて、現地で彫る場合と、工場に持って帰って彫る場合がありますが、それぞれのメリットとデメリットは、すべて包み隠さずにお話しています。
簡単にいうと、現地彫りのデメリットは現場が汚れてしまうこともあること。一方で工場に持っていく場合は、その分のコストが余計にかかってしまうんです。
ただし弊社は、現地で彫ることになったら、最初よりもきれいになるくらいに徹底して掃除を行なっていますので、そのことを説明すると、最終的には現地彫りを選ばれるお客様が多いですね。

優石が手がけた墓石のクリーニング・メンテナンス事例

―では、お墓をつくるときに大切にしていることは?

多田 お墓づくりの場合は、お客様がご相談にいらっしゃったら、まず最初に「そもそも、お墓を建てるべきなのか?」ということから確認するようにしています。
これは以前に、お墓を建ててみたものの、その次の年にもう墓じまいになってしまう、ということがありまして、「お客様へのヒアリングが足りなかった…」という反省から心がけていることなんです。
ですから、たとえお客様が「お墓を建てたい」と希望されている場合でも、まずは息子さんやお孫さん、兄弟の方など、それぞれのご家族の状況などもすべてお聞きして、「それなら建てたほうがいいだろう」と判断することもありますし、「もう少し家族で相談してみてください」とアドバイスすることもあるんです。
よくお客様から「商売っ気ないね」と言われることもありますが、これまでにいろいろなケースを見てきた自分だからこそ伝えられることもありますからね。そうやって、それぞれのお客様に対して最適な助言を行なっていくことが、石屋としての大切な使命だろうと考えています。

―プライベートに関することも教えてください。学生時代には、どんな趣味を持っていましたか?

多田 当時はバンドをやっていましたね。ジャンルはパンクです(笑)。いろいろなことに挑戦したい性格なので、最初はドラムから始めて、次にギター、ベース、そしてボーカルと、一通りのことをやりました。

―では最近の趣味は?

多田 う~ん、そうですね。仕事っていうことにしておいてください(笑)。あと、今は子どもがいますので、休みの日は一緒に遊んでいることが多いです。

―特技などはありますか?

多田 いわゆる特技とは違うかもしれませんが、しいていうなら誰にでも優しくできることでしょうか。これは亡くなった母親の影響が大きいと思います。
今でも一番おぼえているのは、「お店などでドアを開けるときに、ほかの人がいたら先に通すようにしなさい」ということ。人に譲ることの大切さを教えてもらった気がしていて、今は子どもにも必ずそうしなさいと教えています。

―多田さんにとって、お墓とはどういう存在ですか?

多田 人は必ず亡くなりますが、残された家族が、その亡くなった方のことを想って、つくることのできるもの。お墓というのは、そういうものだと思いますし、そうであってほしいとも願っています。

―では最後に、今後の目標を教えてください。

多田 石屋さんというのは、ただお墓をつくったり、メンテナンスをするだけではなく、地域の墓守のような存在になるべき業種だと思っています。
そのためにも、お墓をつくるときには、亡くなった方にどれだけ想いを寄せることができるか。そして、残されたご家族に対して、いかに親身になることができるか。そういった姿勢をもっとも大事にしていきたいと考えています。
やはり、しっかりとご家族に寄り添うことができたときって、お墓も自然といいものができるものだと感じています。これからも、それこそ自分がご家族の一員になった気持ちで、精一杯がんばっていきたいと思います。

優 石

所在地:北海道札幌市西区西野9条4丁目8-16
TEL:011-665-7502/FAX:011-665-8488
https://www.yuseki.com/

いしマガ取材メモ

どのような仕事でも、一度依頼を受けたお客さんには、毎年ハガキを送付しているという多田さん。お客さん全体のうち、実に約7割がリピーターという数字からも、いかに多くのお客さんから信頼されているのかが伝わってきます。
そして今回のお話でとくに印象に残ったのは、お母さまが亡くなって30年ほど経った今も、「いまだに見られている気がしている」という言葉。「悪いことをしたら怒られると思っているし、道をはずれそうになったら、きちんと正してくれるんじゃないかと感じています」と多田さんは話します。商売のことよりも、まず第一にお客さんのことを考えるという多田さんの姿勢には、亡きお母さまの影響が強いのかもしれません。

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銘店“石屋”シリーズ  株式会社 平田石材工業(長崎県雲仙市) https://www.ishimaga.com/5038?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e6%25a0%25aa%25e5%25bc%258f%25e4%25bc%259a%25e7%25a4%25be-%25e5%25b9%25b3%25e7%2594%25b0%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25b7%25a5%25e6%25a5%25ad%25ef%25bc%2588 Fri, 30 Jun 2023 02:56:17 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5038 お客様が手を合わせてくれるものをつくっているのが一番の誇りです。 2022年に創業100周年を迎えた長崎県雲仙市の株式会社平田石材工業。県内でも随一の規模を誇る墓石展示場、CG(コンピュータグラフィックス)やドローンを使 […]

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お客様が手を合わせてくれるものをつくっているのが一番の誇りです。

2022年に創業100周年を迎えた長崎県雲仙市の株式会社平田石材工業。県内でも随一の規模を誇る墓石展示場、CG(コンピュータグラフィックス)やドローンを使ったリアルな墓所完成予想図の作成など、様々なこだわりを通して、お客さんに喜ばれるお墓づくりを心がけている。同社三代目の平田政文さんにお話をうかがいました。

平田政文さん(昭和40年生まれ)
株式会社 平田石材工業の三代目。新しいことをいち早く取り入れていく積極的な性格で、プライベートではバイクツーリングを通して自然とふれ合うことが趣味という。

―まずは会社の歴史を教えてください。

平田 創業は大正10年(1921年)。祖父の平田藤雄が農業のかたわらで石との関わりを深め、畑の石垣などといった石工事に携わるようになったのが創業のきっかけだと聞いています。

―平田さん自身は、いつ頃から石屋さんの仕事を始めたのですか?

平田 私は一人息子で、「いずれ家業を継ぐんだ」と当たり前のように思って育ちましたから、高校を卒業してすぐに父の仕事を手伝うようになりました。そして19歳のときから1年半ほど、福岡県にある老舗石材店で修業。「福岡に住んでみたかった」という理由もあるのですが(笑)、飛び込みでその石材店さんへ行き、運よく働かせていただけることになったんです。

―修業時代の思い出は?

平田 今から思えば、あれが自分にとっての大きな分岐点となりました。なにしろ大都市にある最先端の石屋さんでしたから、加工機械など工場の設備も充実していましたし、他社では出来ないような難所の現場工事をこなしたり、あとは経営的な取り組みとか、とにかくいろいろな面で刺激を受けました。
ですから修業後、こちらに戻ってきてすぐに、うちでもいろいろな機械を導入するようになったり、会社が良くなると思う取り組みは、積極的に進めていくようにしました。あの修業時代の経験は、そのほかにも石材店を営む様々な面で活かされていると思います。

―突然ですが、趣味はなんでしょうか?

平田 昔はフォークギターを弾いたりもしていましたが、今はなんといってもバイクですね。40歳くらいで大型免許をとって、今はハーレーに乗っています。妻もバイクに乗るものですから、2人でツーリングに行ったり、あとはハーレーに乗る仲間と行ったりもしています。
普段は仕事に集中して、休みの日にはバイクツーリングで自然とふれ合う。それによって気分もリフレッシュできますし、仕事に繋がる新しいアイデアが浮かんでくるようなことも少なくありません。

―では話を戻しまして、石屋さんとしてこだわっていることは?

平田 一つは展示場を充実させること。うちの展示場は、たくさんの墓石を現物で見比べられるようになっていますので、お客様にしっかりとご納得いただいてから、話を進められるようになっています。
そしてもう一つは、お客様への提案図面に力を入れていることです。CAD図面はお墓の文字なども含め、私自身が手がけています。さらに墓地の写真を撮って、そこにお墓のCG(コンピュータグラフィックス)を合成する完成予想図も作成。人物の画像なども合成しますので、サイズ感などもわかりやすいものになっていると思います。
さらに最近はドローンも導入し、墓地を上空の斜め上から撮影してお墓の図面を合成したり、真上から墓地全体を撮影して工事の搬入経路を確認したり、様々な使い方をしています。
ちなみにドローンは、ハーレーのツーリング仲間に詳しい人がいて、その方におすすめのメーカーなどを教えてもらいました。趣味もどこかで仕事と繋がってくるんですよね(笑)。

平田さんが制作した墓石の完成予想図(CGとの合成画像)。本物と変わらないリアルさが大きな特徴。

―この仕事のやりがいを教えてください。

平田 自分が建てたお墓に、お客様が手を合わせてくれて、中には涙まで流してくれる方もいらっしゃる。やはり、そういうのが一番のやりがいだと思います。子どもの頃から、父親に「こんなよか仕事はなかぞ」と聞かされていましたが、本当にそのとおりでした。

―最後に今後の目標を教えてください。

平田 これまでと変わらず、とにかくお客様の話に耳を傾けて、しっかりとした仕事を続けていくことです。それに昔に建てたお墓も多いですから、自社工場の加工設備を活かしながらリフォームなどの仕事にもきちんと対応していくこと。最終的に、お客様から「平田石材工業にお墓づくりをお願いして本当に良かった」と心から満足していただけるような目指すべき石屋像を追求していきたいと思っています。

 

株式会社 平田石材工業

株式会社平田石材工業スタッフの皆さん

多種多彩なお墓の現物を見比べられる大型墓石展示場

所在地:長崎県雲仙市国見町神代戊2595-1
TEL:0957-78-3569/FAX:0957-78-3632
https://www.hiratasekizai.co.jp/

いしマガ取材メモ

今回もっとも驚かされたのは、大きくてきれいな展示場に置かれているお墓の数とCGやドローンを駆使してつくったという完成予想図。とくに完成予想図は、本物と変わらないリアルさが感動モノでした。
それに平田さんは、とても聞き上手な方。お墓に関する悩みや相談ごとに対しても、お客さんの想いを汲み取ったうえで、最適な提案をしてくれるに違いありません。

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銘店“石屋”シリーズ  三嶋石材店(宮城県加美町) https://www.ishimaga.com/5025?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e4%25b8%2589%25e5%25b6%258b%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e5%25ae%25ae%25e5%259f%258e%25e7%259c%258c%25e5%258a%25a0%25e7%25be%258e Fri, 30 Jun 2023 02:19:11 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=5025 地域から必要とされる石屋さんであり続けたい。 宮城県加美町に広大な敷地を持ち、工場と展示場を構えている三嶋石材店。今回は三代目である現社長の三嶋康裕さんと、そのご子息で四代目の三嶋謙裕さんに、石屋さんという仕事のやりがい […]

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地域から必要とされる石屋さんであり続けたい。

宮城県加美町に広大な敷地を持ち、工場と展示場を構えている三嶋石材店。今回は三代目である現社長の三嶋康裕さんと、そのご子息で四代目の三嶋謙裕さんに、石屋さんという仕事のやりがいや魅力、これからの目標などについて語っていただきました。

【写真左より】 謙裕さんの奥様・圭さん(事務担当)、三嶋謙裕さん、三嶋康裕さん、康裕さんの奥様・弘美さん(事務担当)

三嶋康裕さん(昭和38年生まれ)
三嶋石材店の三代目。できないと思われるようなことがあったとしても、人がやらない方法を考えたり、試行錯誤を繰り返しながらできるようにしていくことが好きな性格という。

三嶋謙裕さん(昭和62年生まれ)
三嶋石材店の四代目。東京で施工管理の仕事を行なった後、大好きな地元で父親の仕事を引き継いでいくために帰郷。現在は、あと数年で次期社長を任せてもらえるように奮闘中。

―まずは会社の歴史を教えてください。

康裕 もともと親戚に石屋さんがいまして、祖父の金四郎がそこで修業をしてから、戦後間もない時期に創業しました。ですから石屋さんを始めて、もうすぐ80年になろうとしています。
大きな転機となったのは40年ほど前。この地域でお寺の改修工事が相次いで、墓地が一気に増えた時期があり、その頃に現在の工場を増設しました。そして私が43歳のときに、先代の父が亡くなったことで、この会社を継ぐことになりました。
今はお墓をメインに、そのほかにも個人宅の石塀や、神社仏閣の参道、鳥居など、石に関わる幅広い仕事に対応しています。

―謙裕さんは、いつ頃から家業を手伝っているんですか?

謙裕 私は福島の大学で建築を学びまして、大学院を出てから最初の2年は東京のゼネコンで施工管理の仕事をしていました。ただ、子どもの頃から「いつかは石屋をやるんだ」と思って育ちましたので、26歳のときにその仕事を辞めてから、慣れ親しんだ地元に帰ってきて、父の仕事を手伝うようになりました。

―お客さんから三嶋石材店が選ばれる理由はどこにあると思いますか?

康裕 まず一番は安定感や安心感ではないでしょうか。うちは15トンの石を切れるような大きな機械もそろっていますし、会社の敷地が広いですから、展示場もけっこう大きくて、お客様に豊富な展示製品の中から選んでいただくことができるようになっています。
そしてもう一つは、これまでに十分な施工実績を積んでいること。この地域で、これほど多種多様な施工を行なっているところは、ほかにあまりないんじゃないだろうかと自負しています。

謙裕 ぼくも小さい頃から家の仕事を見ていましたので、墓地の区画整理をやったり、大きい石を使った記念碑をつくったりと、施工の実績は本当に豊富だと思っています。

―お二人の趣味など、プライベートのことを教えてください。

康裕 私は音楽鑑賞です。昔からオーディオが好きで、中学生の頃からアルバイトをして、アンプやチューナー、スピーカーなどを一つずつ買い集めていました。

―お好きな音楽のジャンルは?

康裕 ポップスやロックなどの洋楽ですね。昔だとTOTOやジャーニーなどのロックバンド。あとはホイットニー・ヒューストンだったり、スティーヴィー・ワンダーだったりと、基本的に明るい感じの曲が好きです。

―謙裕さんはいかがですか?

謙裕 ぼくは最近アウトドアにハマッていて、よく一人でキャンプに行っています。夜に空を見上げると、星がすごくきれいなんですよ。

―学生の頃はなにかやっていましたか?

謙裕 高校までは陸上部で長距離をやっていました。駅伝で、みんなで”たすき”をつないでいくのが楽しくて。あと、大学では空手をおぼえました。どうも、黙々と一人で続けることが向いているみたいです(笑)。

三嶋石材店が手がけた建墓事例

―石屋さんという仕事のやりがいはなんですか?

康裕 大きな会社ではありませんが、たとえ小さなものでも、「これは私がつくったんだ」というものを残していけることですね。だから仕事をしていても、常に大きな達成感があるんです。

謙裕 うちの会社は、ほかではあまりやらないような仕事を行なうことも多いですから、そういう工事を頼まれてやることができるのは、本当にすごく誇らしい気持ちです。

康裕 あと、お墓というのは、ある程度の決まったかたちはありますけど、お客様と打ち合わせをしながら、いろいろなデザインにすることもできます。石肌を変えてみたり、お客様の想いや自分の感性なども加えながら、いろいろなものをつくっていけるという仕事に、大きなやりがいを感じています。

―お二人にとって、お墓というのはどういった存在だといえますか?

康裕 若い方の中には「お墓はいらない」という人もいますけど、いつか自分の両親や奥さんが亡くなったときには、その亡くなった人をときどき思い出したくなるときもあると思うんです。お墓というのは、そういうときになくてはならない場所というか、振り返るために必要なものだと思います。

謙裕 本当にそうですよね。自分もお墓を見ることで、歴代の先祖を振り返ったりしながら、気持ちを新たにする機会も多くあります。

―では最後に、今後の目標や展望をお聞かせください。

康裕 まずは、いつまでも地元に必要とされる存在であり続けたいです。「あそこに行けば、なんとかなるよ」と言われるような、たくさんの人たちに求められる石屋になることが目標です。

謙裕 最近は対外的なことでも、商工会の大崎ブロック会長を務めさせていただいたり、重要な役が回ってくる年齢になっていると感じています。そうやって周りとの付き合いも広がっていますから、自分は今年で36歳ですけど、父が40代で会社を引き継いだように、40歳くらいまでには「うちの仕事を引き継げるよ」と言えるくらいになりたいです。

康裕 近いうちに霊園づくりにも着手する予定ですが、引き渡す立場としても、息子のために会社を安定させた上で譲りたいと考えています。そして息子には、これからも地域の方たちのためになるものをつくっていってもらいたいと思っています。

三嶋石材店

鳥居の大掛かりな工事などにも対応している

所在地:宮城県加美郡加美町宮崎字東町75ー1
TEL:0229-69-5257/FAX:0229-69-5950

いしマガ取材メモ

2011年の東日本大震災を振り返り、「自分たちのまちが一瞬にして変わってしまうことを体験した」と話してくれた康裕さん。息子の謙裕さんともども、震災後は石巻市にある金華山の鳥居を建て直したりと、さまざまなかたちで地域の復興作業にも尽力されました。
そして、お墓をつくるという石屋さんの仕事を大切にしているのも、すべては地元のため。「もしも困っている方がいたら、なんとかしてあげたい」という気持ちが、一番の原動力になっているのだと話します。施工方法を自前で考えるなど、技術面においても確かな実績を持っている、そんな三嶋さん親子になら、大事なお墓づくりも安心してお任せすることができるに違いありません。

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銘店“石屋”シリーズ  金子石材店(長崎県島原市) https://www.ishimaga.com/4996?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e9%2587%2591%25e5%25ad%2590%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e9%2595%25b7%25e5%25b4%258e%25e7%259c%258c%25e5%25b3%25b6%25e5%258e%259f Wed, 31 May 2023 02:50:34 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=4996 お墓づくりは素晴らしい仕事。この地域のお墓文化を守り続けたい。 長崎県島原市にある金子石材店は大正13年に創業。現在は4代目にあたる金子宗弘さんと、ゆくゆくは5代目を継ぐ息子の詢治さんが、親子でお墓づくりを行なっている。 […]

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お墓づくりは素晴らしい仕事。この地域のお墓文化を守り続けたい。

長崎県島原市にある金子石材店は大正13年に創業。現在は4代目にあたる金子宗弘さんと、ゆくゆくは5代目を継ぐ息子の詢治さんが、親子でお墓づくりを行なっている。今回は、そんなお二人にお墓をつくることのやりがいやこだわり、今後に向けた目標などを語っていただいた。

金子宗弘さん
(昭和36年1月生まれ)金子石材店の4代目。大学時代はディスコでDJをしたり、バンドも組んでいたという音楽好き。現在は読書も趣味で、興味のあるものを幅広く読破しているという。

金子詢治さん
(平成7年1月生まれ)金子石材店の5代目。高校時代は野球部に所属。修業先の愛知県岡崎市で知り合った女性と結婚し、家族を大切にするお父さんという一面も持つ。

―まずは会社の歴史を教えてください。

宗弘 大正13年に私のひいおじいさんが創業した会社です。さらにさかのぼると、本当かどうかはわからないのですが、江戸時代に松平家と一緒に島原までやってきた家系で、もともとは年貢米を計量する係を務めていたとも聞いています。
ただし石材店といっても、創業した当時は港湾土木が中心。昔の防波堤などは、コンクリートではなく、石積みでやっていたそうですから、それこそ半島中で工事を行なっていたみたいです。
それで私の祖父にあたる2代目から、港湾土木からお墓づくりにシフト。3代目の父の代で一気に機械化が進み、お墓建立のブームもあって、すごく忙しい時代が続いたそうです。
そして現在は4代目である私と弟、それに息子の詢治、あとは従業員さんの合計4名で、リフォームや磨き直し、追加彫りなども含めて、お墓づくりに関する大抵のことをお引き受けしています。

―宗弘さんが家業に入ったのはいつ頃なんですか?

宗弘 私が20歳くらいのときでしたから、昭和56年頃ですね。その当時は大学に通っていたんですけど、ディスコが大好きで、DJも少しかじっていましたから、父から「遊んでばかりいるなら、大学を辞めて帰ってこい」と言われまして(笑)。
あと、大学時代はオールディーズのバンドでリードギターとボーカルを担当していたり。ですから、音楽は今でも大好きですよ。日本石材産業協会という業界団体の会合で、東京に行くことがあるのですが、そういうときも必ず渋谷のタワーレコードに寄って、2万円分くらいはまとめて買い物しています(笑)。

―どんな音楽ジャンルが好きなんですか?

宗弘 もともとディスコが好きなので、「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」などのソウル・ミュージックです。あとは「エリック・クラプトン」など。基本的には洋楽が中心です。

―お墓をつくる上で大切にしていることはなんですか?

宗弘 父が一級石材施工技能士の資格を持っていたこともあって、技術を大切にするということは、私の代でも大切に守り続けています。そして、仕事に関しては一切の妥協をしない。やっぱり、そのことに尽きると思いますね。
なんというか、性格的にがつがつ商売するのが苦手なんですよ。いわゆる昔ながらの職人気質といいますか、いいものをつくるためには、損得抜きでがんばってしまうことが多いです。
あと、お客様の話を聞くのも好きですね。そういえば若いときに、お施主のおばあさんのお話を正座しながら聞いていて、立ち上がった拍子に足を骨折してしまったことがありました(笑)。それだけ長時間にわたって、ず~っと話し込んでいたんでしょうね。ただ、いいお墓をつくるためには、そうやってお客様の声に耳を傾けるのはすごく重要なことだと思っています。

金子石材店が手がけた建墓事例

―ではここで、ご子息の詢治さんにお話を伺います。詢治さんは高校卒業後、全国でも有数な石材産地である愛知県岡崎市で修業をしたそうですね。

詢治 はい。父から「岡崎に受け入れてくれる石屋さんがある」と聞いて、4年間あちらで勉強させていただきました。
もともと子どもの頃から「いつかは石屋さんになるんだ」とは思っていましたが、実際に自分でやり出したら、すごく楽しかったですね。たくさんの仲間や知り合いができましたし、あと、妻と出会ったのも修業時代で(笑)。「あのとき岡崎に行っていなかったら、今頃どうしているんだろう?」と思うくらい、岡崎で修業させていただいて本当に良かったと感じています。

―今は主にどんな仕事を担当していますか?

詢治 現場の仕事全般と、あとはお見積もりの作成など。最近はちょっとずつ営業の仕事も引き継いでいて、できることを一つひとつ増やしているところです。

会社近くの菩提寺にある金子家の墓所(五輪塔は金子詢治さんが製作)

―最後に、お二人の今後の目標を教えてください。

宗弘 石屋さんというのは、ただ単に品物を売っているのではなくて、人様が手を合わせてくださるものをつくっている、本当に素晴らしい仕事です。いつも息子にも、「そのことが一番大事なんだ」と伝えているのですが、息子も今年で28歳になりましたから、そろそろ本格的に受け渡していくことも考えていきたいと思っています。
ただ、私もそれですぐ隠居するわけではなく、現場や経営をサポートしていくつもりですけどね。いずれにしましても、息子も一級石材施工技能士の資格を持っていますし、岡崎で技術をおぼえてきたという大きな強みもありますから、そのあたりを十分に発揮していってもらえたらうれしいです。

詢治 ぼくが目標にしているのは、常に一つ前よりも良い仕事を行なっていくことです。よその石屋さんの手伝いなどに行って、自分の知らないやり方や道具があると、それを研究するのも大好きで。そういうことの積み重ねによって、たくさんのお客様に感謝される仕事を目指していきたいです。
そして最終的には、この地域の〝墓守(お墓を守る人・管理する人)〟を担うような存在になれれば良いなとも思っています。地元愛が強いので、自分たちが住んでいるところのお墓文化をずっと守り続けていきたいと思っています。

 

金子石材店

自社工場で加工作業も対応

所在地:長崎県島原市萩原3-5871
TEL:0957-62-5405/FAX:0957-62-5441

いしマガ取材メモ

4代目の金子宗弘さんは、おっとりとした性格で、とても真面目な方。地元の青年会議所で理事長を務めたり、石材業界団体の九州地区担当副会長を任されるなど、周囲からの人望も厚く、「自分のところだけでなく、業界全体で向上していきたい」という言葉が印象的でした。そのため使ってみてよかった道具などは周りの石屋さんにも隠したりせず、積極的に紹介している。大きな石工事では応援部隊となってサポートにまわることもあるそうです。

ご子息の詢治さんも、宗弘さんと同じくらいに責任感の強い方。幼い子を持つ父親として、「地域のお墓文化を守ることが、家族を守ることにもなると思う」という強い決意を口にしてくれました。こんなお二人のいる石屋さんなら、お墓づくりという大切な仕事も安心してお任せすることができるに違いありません。

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銘店“石屋”シリーズ  有限会社 近藤石材店(東京都府中市/八王子市) https://www.ishimaga.com/4968?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e6%259c%2589%25e9%2599%2590%25e4%25bc%259a%25e7%25a4%25be-%25e8%25bf%2591%25e8%2597%25a4%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e6%259d%25b1 Sun, 02 Apr 2023 07:34:53 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=4968 最初から最後まで一人ひとりのお客さまに寄り添い、世界に一つだけのお墓をつくり続けたい。 大正12(1923)年に創業し、現在は東京都立多磨霊園前と都立八王子霊園前に店舗を構える有限会社 近藤石材店。 今回は代表取締役社長 […]

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最初から最後まで一人ひとりのお客さまに寄り添い、世界に一つだけのお墓をつくり続けたい。

大正12(1923)年に創業し、現在は東京都立多磨霊園前と都立八王子霊園前に店舗を構える有限会社 近藤石材店。
今回は代表取締役社長の板垣さんをはじめ、両店のスタッフの皆さんにお集まりいただき、プライベートのことから仕事の目標まで、座談会形式でさまざまな本音を語ってもらいました。

(写真左より)
佐藤友紀さん
もともと土木関係の仕事をしていたが、板垣社長の就任時に「右腕がほしい」と言われて転職。5年ほど前より八王子店の支店長を務めている。

指田敏昭さん
出版業などを経て約6年前に入社。法事や埋葬の事前準備と当日対応、外柵工事、お墓のリフォームなど、主に現場の仕事を担当している。

渡邉祥昭さん
高校卒業後はしばらく家業の自動車修理業に従事していた。現在の仕事は墓石の設計や納骨の相談応対が中心。法要を滞りなく進められるようにする心配りを大切にしている。

板垣敏章さん
近藤石材店の5代目。国土交通省の仕事を経て、31歳のときに近藤石材店を受け継ぎ、代表取締役社長に就任した。

荒巻美咲さん
石材業界で働いている兄の紹介を受けて2022年6月に入社。主に墓所の年間清掃や納骨などの応対と事務仕事を担当している。

―今回の座談会は、お客さまに皆さんの人となりを知っていただくのが目的です。そこでまずは自己紹介も兼ねて、若い頃に夢中だったことや現在の趣味を教えてください。

佐藤 学生の頃は車にハマっていました。自分で手を加えて乗るのが好きで、そういう車好きは今でも続いていますね。これまでノーマルのままで乗ったことはありません(笑)。あと、今の趣味はキャンプ。家族で一緒に行って、焚き火をしたり、いい景色を眺めたりしているのが楽しいです。

荒巻 私は小学生から高校生まで、ずっと和太鼓を習っていました。地元の方は皆さんご存知だと思うんですけれど、府中は昔から和太鼓が盛んなんです。あと、高校生のときはヒップホップダンスもやっていました。

渡邉 昔は釣りが好きだったんですけど、この仕事を始めてからはあまり行けなくなってしまったので、最近は古いルアーなどの釣り道具を集めています。昔は高くて買えなかったものが、今では少しずつ買えるようになりまして(笑)。あと、バイクはずっと乗り続けていて、ツーリングは本当に気持ち良いですね。

指田 ぼくも昔は小さなオートバイに乗っていました。あとはテニスをしたり、ギターやベースを弾いたり。もともとハードロックとかヘヴィメタルが大好きだったんですよ。

板垣 ぼくも指田さんと同じで、中学・高校とずっとバンド活動をしていました。ちょうどバンドブームでしたので、いろんな文化祭に出たり、ライブハウスで有名なバンドの前座を任されたり、あとは全国大会の県代表に選ばれたこともありました。ただ、パンクバンドだったので、当時の髪型はモヒカンでしたけどね(笑)。

―続いてはお仕事内容について伺います。ずばり、御社の強みはどんなところにあると思いますか?

板垣 まず第一にアフターサービスが充実していることですね。一年中、毎日必ず誰かはお店にいるようにしていますから、お墓参りの代行などは365日いつでも受け付けています。
あともう一つは、一人ひとりの社員が、営業から設計まで、お墓づくりに関わる全ての仕事を一人で出来るようにしていること。最初から最後までお客さまに寄り添って一緒に考えていきますので、安心感はピカイチだと思います。

―では皆さんは、お客さまとの応対にあたって、どのようなことに気をつけていますか?

佐藤 お墓のことを知る機会は、あまり多くないと思いますので、応対する際には、できる限りお客さまの声に耳を傾け、こちらからも細かく説明するようにしています。そうして信頼関係を築き上げ、末長くお付き合いさせていただきたい。いつもそのように考えています。

渡邉 あとは仕事上、どうしてもお客さまの家族のことなど、デリケートな部分に関わっていくことになりますので、応対はできるだけ丁寧に。そして石屋として、グリーフケア的な観点からもサポートしていければと思っています。

指田 ぼくは納骨のときに、できるだけ杓子定規ではない対応ができるように心がけています。ご遺族の皆さまにとって、納骨は亡くなった方と物理的に接することのできる最後の機会。自分はあくまでも黒子に徹しつつ、必要に応じて「納骨室の中に入ってみますか?」とお声がけしたり、大切な時間をゆっくり過ごしていただけるようにしています。

板垣 ちなみにうちのお客さまは、「○○さん、いますか?」って担当者を指名してご来店くださる方が多いんです。それこそ会社代表のぼくなんかには見向きもせず(笑)。そういうことがあると、「ああ、お客さまといい関係性が築けているんだな」と思って、すごくうれしくなりますね。

―皆さんにとって、石屋さんという仕事のやりがいはなんですか?

指田 やっぱりお客さまから感謝されることです。お墓づくりを終えたあとに「ありがとう」というお言葉をいただけることが一番うれしいですね。

佐藤 確かに。そのためにがんばっていいお墓をつくっていますからね。やりがいというと、ぼくもその一言に尽きると思います。

荒巻 本当にこの仕事って、お客さまから感謝されることが多いですよね。私はお墓の年間清掃の受付応対を担当していて、実際に清掃するのは当社の職人さんなのですが、私にも「きれいにしてくれてありがとう」と言っていただけるお客さまが多くて。そういうのがすごくうれしいです。

渡邉 ぼくはもともと板金塗装の仕事をしていたんですけど、仕事にかける想いやエネルギーなんかは、それほど変わらないと思うんですよね。でもお墓の仕事は、お客さまから感謝されるときの熱量が全然違っていて。きちんと評価されるという意味で、本当にありがたい仕事だと思っています。

―では最後に、皆さんの今後の目標を教えてください。

荒巻 ときどき、お客さまが私の前任で事務を担当していた方を訪ねてきてくださるんです。それで「退社されたんです」とお伝えすると、「すごくよくしてもらったのに」と残念がる方ばかりで。私もいつかは、そう言っていただけるようになりたいです。

指田 ぼくはもっと自分のレベルを上げていきたいです。実は、今の自分の動きにまだ満足できない部分もあって。霊園のことや工事のことなど、常に「もっとできることがあるんじゃないか?」と考えています。

佐藤 あと、会社としてはお客さまになっていただける方を一人でも多く増やしていきたい!

渡邉 そのためにも、これからも仕事に対して真摯に向き合っていくこと。そしてゆくゆくは次の代に引き継いでいくことが、これまでずっと弊社を信じてくださっているお客さまに誠意を示すことになるのでは、と思っています。

指田 確かに。お墓はずっと残るものなので、きちんとバトンタッチしていくことも大切ですね!

板垣 ぼくにとって、お墓というのはお客さまの想いがかたちになったもの。そういった、それぞれの方の想いに、いかに近づけていけるのか?そういうところが石屋さんという仕事の面白さだと思います。だからこそ、同じものはつくりたくない。これからも社員みんなで一致団結し、「世界に一つだけのお墓をつくる」という姿勢を大切にしていきたいです!

 

有限会社 近藤石材店

有限会社近藤石材店・府中店の外観

有限会社 近藤石材店・府中店
東京都府中市紅葉丘2-31-4(都営多磨霊園正門前)
TEL:042-361-6168

有限会社 近藤石材店・八王子店
東京都八王子市元八王子町3-2509(都営八王子霊園前)
TEL:042-663-5608

ホームページ:https://www.kondo-sekizai.co.jp/

いしマガ取材メモ

近藤石材店の皆さんは、気さくで優しく、そして面白い人ばかり。これを読んでいる方の中には「石屋さんって、どうも入りづらい・・・」というイメージを持っている方もいるかもしれませんが、同店ならば、そんな心配は無用です。ぜひ気軽に足を運んでみてください!

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銘店“石屋”シリーズ  有限会社 吉澤石材店(神奈川県川崎市) https://www.ishimaga.com/4952?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e9%258a%2598%25e5%25ba%2597%25e7%259f%25b3%25e5%25b1%258b%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25ba-%25e3%2580%2580%25e6%259c%2589%25e9%2599%2590%25e4%25bc%259a%25e7%25a4%25be-%25e5%2590%2589%25e6%25be%25a4%25e7%259f%25b3%25e6%259d%2590%25e5%25ba%2597%25ef%25bc%2588%25e7%25a5%259e Wed, 01 Feb 2023 07:07:18 +0000 https://www.ishimaga.com/?p=4952 江戸時代から、この地で代々守り続けてきた「きちんとした仕事」を受け継いでいきたい。 JR線・小田急線の登戸駅から徒歩1分のところにある有限会社吉澤石材店は、江戸時代の寛政年間(1789~1800年)に創業したと伝えられて […]

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江戸時代から、この地で代々守り続けてきた「きちんとした仕事」を受け継いでいきたい。

JR線・小田急線の登戸駅から徒歩1分のところにある有限会社吉澤石材店は、江戸時代の寛政年間(1789~1800年)に創業したと伝えられている老舗石材店。現在は8代目にあたる吉澤光宏さんが、その歴史ある暖簾を守り続けている。今回はそんな吉澤さんに同社の長い歴史やお墓づくりに込める想いなどについてお話をうかがった。

吉澤光宏さん(昭和39年生まれ)
子どもの頃から、将来、石屋を継ぐことを決めており、大学卒業と同時に静岡県の大手石材店で修業。約2年間で現場や営業の仕事を経験した後、地元に戻り、生まれ育った石屋で働き始めた。その後、40歳で代表取締役社長に就任し、現在に至る。

―まずは何よりも会社の歴史の長さに圧倒されます。

吉澤 創業は江戸時代の寛政年間と伝えられていて、今からおよそ230年前になるかと思います。かつてはこのあたりに「石屋河岸」という用水路がありまして、海路で運ばれてきた石が、多摩川を経て、その石屋河岸をたどり、うちまで輸送されていたのだと聞いています。

―吉澤さんご自身の記憶でおぼえていることは?

吉澤 子どもの頃から家の仕事は見ていましたけど、とくに印象深く残っているのは、自分が通っていた小学校の創立100周年の記念碑を、うちの店で建てたことですね。私が小学4年生くらいの頃だったと思うのですが、朝の朝礼で父が感謝状をいただいたことがあって、あの時のうれしかった気持ちは今でも忘れられません。

有限会社吉澤石材店による五輪塔の建立事例

―吉澤さんはいつからこの仕事を始めたのですか?

吉澤 大学を卒業してすぐですね。小さい頃から将来は石屋になると決めていましたので、とくに就職活動もしなかったです。

―大学時代の一番の思い出はなんですか?

吉澤 いろいろありますが、アルバイトでの思い出は印象深く残っています。大学時代の4年間、モスバーガーでアルバイトをしていまして(笑)。たまたま始めたアルバイトだったのですが、最初の3年間は川崎市内の向ヶ丘遊園にあるお店で働いて、次は都内の下北沢にあるお店で1年間。はじめの頃は何もできなかったのが、経験していくうちに、いろんなことができるようになっていって、最終的には接客からキッチンまで、ほとんどすべての仕事ができるようになっていました。バイト仲間も良いメンバーに恵まれ、みんなでよく遊びに行ったり食事へ行ったりして、良い思い出しかありません。

―当時の経験が今の仕事に活かされている部分はありますか?

吉澤 接客業は経験しておいてよかったと思います。いわゆる社会勉強ですよね。実は今もときどき無性に食べたくなる時があって(笑)、自分にとってモスバーガーというのは特別な存在になっています。

―仕事をする上で大切にしていることはなんですか?

吉澤 お墓をつくる仕事が多いのですが、いつも「しっかりしたものをつくっていきたい」と思っています。そういう想いは、それこそ先代の父や、さらにもっと昔の時代から、うちの店が大切にしてきたことでもあるんです。
ときどき、先代や先々代がこれまでにつくってきたお墓を解体する機会もあるのですが、そういう時に昔の仕事ぶりがよくわかるんですよね。基礎にしっかりと鉄筋が入っていたり、石と石のあいだにすべて鎹が打ち込んであったりして、「ああ、よくやってあるな、うちは代々こういう仕事をしてきたんだな」と。そういうのを見るたびに「自分もこういった姿勢を守っていかなければならない」と想いを新たにしています。

―長い歴史の重みを感じる意見ですね。

吉澤 あとは、お客様に安心していただくことですね。たとえば、お墓づくりをする上で、「このような形にしたいと思っているのですが、大丈夫でしょうか」などというご質問をいただくこともありますが、「お墓をつくること自体が絶対的に良い行ないなので、ご先祖さまも喜んでくれますよ」というお話をしています。
お墓は、そこに眠られているご先祖さまと心を通じ合わせられる場所だと思います。そのご先祖さまが、心を通い合わせるためにお墓づくりをすることに対して、喜ばないはずはない。このようなお墓づくりの意義などをお伝えしていくのも、私たち石屋の役割だと思っています。

―最近の趣味などはありますか?

吉澤 時間があるときは、よく一人で古い石造物を見に行きます。それで家に帰ってから、撮ってきた写真を見返したり、インターネットでほかの石造物と見比べたりして。そういうことをしているのが好きですね。

―いつ頃からの趣味なんですか?

吉澤 40代になってからです。お墓の勉強会に参加し、奈良から京都にかけて、歴史的な石造物を見学しに行ったのがきっかけです。もともと、うちの先祖が建てた石造物を見て回るのが好きだったので、そういう素地は昔からあったと思います。最近は鎌倉に行くことが多くて、800年くらい前にできたものを見ていると、なんだかロマンを感じます。
それで、自分がつくっているお墓のことも考えてみたりして。お墓も100年や200年で朽ちるものではないですからね。長く残っていくものをつくっているからこそ、「きちんとした仕事をしていきたい」という想いにも繋がっているんです。

―最後に今後の目標を聞かせてください。

吉澤 お客様の満足を追い求めていくことはもちろん、できれば最終的に「吉澤石材店で建ててよかった」と思っていただけるようなお墓づくりを行なっていきたいです。
とにかく仕事をする上では絶対に手を抜きたくありません。お墓は自分が亡くなった後も残っていくものですから、心から満足できるものをつくっていきたい。もちろん第一にはお客様のためですが、石屋として出来る精一杯の仕事を、これからもずっと続けていきたいと思っています。

 

有限会社 吉澤石材店

有限会社吉澤石材店による叩き仕上げの五輪塔建立例(岡山県産「犬島石」で制作)所在地:神奈川県川崎市多摩区登戸3511
TEL: 044-911-2552 /FAX:044-911-4911
https://yoshizawasekizai.com/

いしマガ取材メモ

およそ230年にもわたって代々続く有限会社吉澤石材店。東京都府中市にある大國魂神社や、神奈川県藤沢市の江島神社などの灯籠には、2代目である伊勢屋藤三郎さんの銘が残っています。
そんな老舗を受け継いだ8代目の吉澤さんは、非常に勉強熱心なタイプ。最近では重要文化財に指定されている石造物などを見学し、石屋としての目を養っているほか、地震によって被害を受けたお墓の視察にも参加し、どのような状態で倒れているか、接着剤の剥がれ具合はどうかなど、実際の状況を見て回ることで、墓石施工への学びを深めています。
取材時にも言葉の端々から高いプロ意識が感じられ、このことも長年にわたって支持され続けている同社ならではの伝統だといえるでしょう。

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