日本のお墓の起源を考えていくと、インドを発祥の地とするストゥーパ(仏塔)にたどりつくことになります。

インドのストゥーパ(仏塔)は、その原初の形を保存しているとされる「サーンチーの大塔」に見られるように、半球形の形状でした。それが中国では大きな笠を持つ多層化した塔として発展しました。

そうしたインドから中国にかけての仏塔の変遷については、長谷川周氏の著書『インド仏塔紀行』『中国仏塔紀行』(東方出版)などを読むと、豊富なビジュアルによって知ることができます。

長谷川周氏の著書『インド仏塔紀行』『中国仏塔紀行』

インドから中国への北方ルートにおいては、ストゥーパは楼閣(ろうかく)建築と結びついて、高くそびえ立つ中国式仏塔となっていきました。この北方ルートにおいては大乗仏教が伝わりましたが、一方、東南アジアに向かう南方ルートにおいては、上座部仏教(小乗仏教)が広まっていくことになったのです。

スリランカ、ミャンマー(ビルマ)、タイなどの東南アジアにおいては、仏塔は中国とは異なった形態で浸透していきました。インドでは半球形だった形状は、天に屹立(きつりつ)する末広がりの円錐形が基本となり、各寺院で尖塔に分類できる仏塔が数多く建てられていきました。

ミャンマーの首都ヤンゴンにある有名な「シュエ・ダゴン・パゴダ」に象徴されるような、こうした巨大な円錐形の仏塔は、タイでもよく見受けられます。「ワット・ポー(涅槃寺)」や「ワット・アラン(暁の寺)」などの首都バンコクの観光名所にある王族の墓にも、同様の円錐形のフォルムを見ることができます。

ミャンマーのシュエ・ダゴン・パゴダ

タイでは一般の人はあまりお墓を建てないようですが、寺院敷地内ではお墓を見掛けることができます。おそらく僧侶の墓なのでしょうが、こうしたお墓のほとんどはコンクリート製のもので、陶製の小さなタイルを貼り付けて装飾を施しています。

こうしたお墓は仏塔を小型化した形であり、この延長線上に日本の宝塔、多宝塔、宝篋印塔、累宝塔などを置いてみても違和感はないと思われます。

こうした東南アジアの仏塔については、伊東照司氏の著書『インド東南アジア古寺巡礼』(雄山閣出版)などが参考になりますが、インドのストゥーパの日本における影響を考えるとき、中国経由の北伝仏教ルートのほかに、東南アジア経由の南伝仏教ルートを考え合わせる必要性が感じられます。

インドや東南アジアのものをそのまま日本の墓石に応用しようとしても当然無理があるでしょうが、寺院が建立している永代供養塔などには、インドや東南アジアのストゥーパをモチーフにしたと思われる形が多く見受けられます。