彫刻家に聞く「石の魅力とは」vol.28(佐善 圭氏)

この企画では、彫刻家が感じている「石の魅力とは何なのか?」、「なぜ石で彫刻を作っているのか?」ということをお聞きしていきます。
今回は東京・銀座にありますギャラリーせいほうで開催された佐善圭さんの個展でお話を聞かせてもらいました。

「なぜ石で作品を作っているのかと言えば、石の魅力にとりつかれてしまったからなんでしょうね。
多摩美に入った時、私は最初に金属の仕事がしたかったんですよ。金属の作品って結構大きな板があればパッパッと6面貼って作れるじゃないですか。ボリュームに憧れていた時があって、そういう仕事をしたかったんですけど、大学の時にたまたま金属ではなく石の専攻になったんです。
それで石を始めたんですけれども、最初の頃は石って硬いから自分の思い通りにならないので、すごく嫌な素材だと思っていたんです。でも少しずつやっていくと、自分も歩み寄る、素材も歩み寄るような感じで、自分にとってシックリくる素材に変わっていって、それからは御影石をずっとやっていたんです。
もし専攻が金属だったら金属の作家になっていたか、もしくは作家として生き残っていなかったかもしれない…というか、絶対作家はやっていないですね(笑)。

恩師の中井延也先生に出会ったことも大きいかな。飲んだくれの先生でしたが、彫刻家としては一本筋がきちっと通っていて、形の見方とか、ものを作るってどんなことなのかっていうことを日々教わっていたんです。
朝6時位から石を彫り始めて、夜は明かりが無くなってから飲み始めて、23時位まで彫刻とは何ぞやっていうことを毎晩語っていました。その後も多摩美の大学院を出て助手として大学に残ったので、えらい濃い時代を過ごしましたね(笑)。
その後に文化庁在外研修員としてイタリアに行く機会を与えていただき、3年間大理石の勉強をしました。今回の作品でもやっていますが、筋目を作る先が丸いノミで、ちょっとだけ削って模様のような仕上げをしていくことや、ヤスリのかけ方、仕上げの方法とか、角とかは木をあてがいながら刃物で削っていくんですが、そうするとノミの傷がとれる。そういったことはイタリアに行かなかったら知りえない技術だったと思います。
平刃で角をやっていればどうしても残ってしまう傷を残さない技術があるんですよ。彫り方もそうだし石の磨きと仕上げ方。イタリアは100番位でおしまいなんてことがいっぱいあります。サンドペーパーで傷がとれたらおしまい。日本だと最後までピカピカに磨くけど、マットな感じに仕上げるっていうのがむこうの技術ですね。

イタリアに行くと当たり前の技術なんだけど、それを見れたのが良かった。イタリアの技術を知れば知るほど今まで自分が考えていたけど出来なかったことが出来るようになって、仕事が楽しくて楽しくてしょうがなかった。もちろん今も制作している時は楽しくてしょうがないですよ。アトリエにいる時間が本当に幸せです。
特に今は大理石が大好きな素材です。石は唯一無二の存在ですもんね。素材として硬いけど味があるし、色もある。でも塊としては結構大きいじゃないですか。木だとどうしても木の年輪以上のものって出来ないけれども、石はある程度のボリューム、大きなものまで彫れるじゃないですか。そういった所も石の魅力ですね。
その存在しているものの中に形が残っている、あるってことですからね。彫ればいくらでも自分の好きな形が出てくるっていう素敵な素材ですよね。

大理石を使った作品「あふれ出ずる想い」と佐善さん

作品のコンセプトは生きる力とか、生命の立ち上がっていく姿、種などです。種っていうのはあんなに小さなものから正しく生まれてくるじゃないですか。最初は玉だったけれども中から命が生まれてくる。種のあふれ出てくるようなものとか、植物的なものや芽が出てくるような感じが作品に近いかもしれないです。
あとは瞬間の陰影というシリーズで、ストップモーションのような瞬間のものとか、そういったようなもの。落ちる影と作品の持つ影が出来るのでうまく組み合わせて作品にしています。
白い大理石は影がきれいで上手く表現できるので大好きですね。最近の小品は大理石と瑪瑙など色の付いたものを組み合わせて、華やかな感じ、雰囲気のある、気品のある様な感じにしたいと思っています」とおっしゃっていました。

佐善さんは今回の作品で自分が持っている瑪瑙を全て使ってしまったとのこと。現在、質の良い瑪瑙が手に入らないそうで、単色でガラス質のような瑪瑙を持っている方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡下さい。