銘店“石屋”シリーズ  三嶋石材店(宮城県加美町)

地域から必要とされる石屋さんであり続けたい。

宮城県加美町に広大な敷地を持ち、工場と展示場を構えている三嶋石材店。今回は三代目である現社長の三嶋康裕さんと、そのご子息で四代目の三嶋謙裕さんに、石屋さんという仕事のやりがいや魅力、これからの目標などについて語っていただきました。

【写真左より】 謙裕さんの奥様・圭さん(事務担当)、三嶋謙裕さん、三嶋康裕さん、康裕さんの奥様・弘美さん(事務担当)

三嶋康裕さん(昭和38年生まれ)
三嶋石材店の三代目。できないと思われるようなことがあったとしても、人がやらない方法を考えたり、試行錯誤を繰り返しながらできるようにしていくことが好きな性格という。

三嶋謙裕さん(昭和62年生まれ)
三嶋石材店の四代目。東京で施工管理の仕事を行なった後、大好きな地元で父親の仕事を引き継いでいくために帰郷。現在は、あと数年で次期社長を任せてもらえるように奮闘中。

―まずは会社の歴史を教えてください。

康裕 もともと親戚に石屋さんがいまして、祖父の金四郎がそこで修業をしてから、戦後間もない時期に創業しました。ですから石屋さんを始めて、もうすぐ80年になろうとしています。
大きな転機となったのは40年ほど前。この地域でお寺の改修工事が相次いで、墓地が一気に増えた時期があり、その頃に現在の工場を増設しました。そして私が43歳のときに、先代の父が亡くなったことで、この会社を継ぐことになりました。
今はお墓をメインに、そのほかにも個人宅の石塀や、神社仏閣の参道、鳥居など、石に関わる幅広い仕事に対応しています。

―謙裕さんは、いつ頃から家業を手伝っているんですか?

謙裕 私は福島の大学で建築を学びまして、大学院を出てから最初の2年は東京のゼネコンで施工管理の仕事をしていました。ただ、子どもの頃から「いつかは石屋をやるんだ」と思って育ちましたので、26歳のときにその仕事を辞めてから、慣れ親しんだ地元に帰ってきて、父の仕事を手伝うようになりました。

―お客さんから三嶋石材店が選ばれる理由はどこにあると思いますか?

康裕 まず一番は安定感や安心感ではないでしょうか。うちは15トンの石を切れるような大きな機械もそろっていますし、会社の敷地が広いですから、展示場もけっこう大きくて、お客様に豊富な展示製品の中から選んでいただくことができるようになっています。
そしてもう一つは、これまでに十分な施工実績を積んでいること。この地域で、これほど多種多様な施工を行なっているところは、ほかにあまりないんじゃないだろうかと自負しています。

謙裕 ぼくも小さい頃から家の仕事を見ていましたので、墓地の区画整理をやったり、大きい石を使った記念碑をつくったりと、施工の実績は本当に豊富だと思っています。

―お二人の趣味など、プライベートのことを教えてください。

康裕 私は音楽鑑賞です。昔からオーディオが好きで、中学生の頃からアルバイトをして、アンプやチューナー、スピーカーなどを一つずつ買い集めていました。

―お好きな音楽のジャンルは?

康裕 ポップスやロックなどの洋楽ですね。昔だとTOTOやジャーニーなどのロックバンド。あとはホイットニー・ヒューストンだったり、スティーヴィー・ワンダーだったりと、基本的に明るい感じの曲が好きです。

―謙裕さんはいかがですか?

謙裕 ぼくは最近アウトドアにハマッていて、よく一人でキャンプに行っています。夜に空を見上げると、星がすごくきれいなんですよ。

―学生の頃はなにかやっていましたか?

謙裕 高校までは陸上部で長距離をやっていました。駅伝で、みんなで”たすき”をつないでいくのが楽しくて。あと、大学では空手をおぼえました。どうも、黙々と一人で続けることが向いているみたいです(笑)。

三嶋石材店が手がけた建墓事例

―石屋さんという仕事のやりがいはなんですか?

康裕 大きな会社ではありませんが、たとえ小さなものでも、「これは私がつくったんだ」というものを残していけることですね。だから仕事をしていても、常に大きな達成感があるんです。

謙裕 うちの会社は、ほかではあまりやらないような仕事を行なうことも多いですから、そういう工事を頼まれてやることができるのは、本当にすごく誇らしい気持ちです。

康裕 あと、お墓というのは、ある程度の決まったかたちはありますけど、お客様と打ち合わせをしながら、いろいろなデザインにすることもできます。石肌を変えてみたり、お客様の想いや自分の感性なども加えながら、いろいろなものをつくっていけるという仕事に、大きなやりがいを感じています。

―お二人にとって、お墓というのはどういった存在だといえますか?

康裕 若い方の中には「お墓はいらない」という人もいますけど、いつか自分の両親や奥さんが亡くなったときには、その亡くなった人をときどき思い出したくなるときもあると思うんです。お墓というのは、そういうときになくてはならない場所というか、振り返るために必要なものだと思います。

謙裕 本当にそうですよね。自分もお墓を見ることで、歴代の先祖を振り返ったりしながら、気持ちを新たにする機会も多くあります。

―では最後に、今後の目標や展望をお聞かせください。

康裕 まずは、いつまでも地元に必要とされる存在であり続けたいです。「あそこに行けば、なんとかなるよ」と言われるような、たくさんの人たちに求められる石屋になることが目標です。

謙裕 最近は対外的なことでも、商工会の大崎ブロック会長を務めさせていただいたり、重要な役が回ってくる年齢になっていると感じています。そうやって周りとの付き合いも広がっていますから、自分は今年で36歳ですけど、父が40代で会社を引き継いだように、40歳くらいまでには「うちの仕事を引き継げるよ」と言えるくらいになりたいです。

康裕 近いうちに霊園づくりにも着手する予定ですが、引き渡す立場としても、息子のために会社を安定させた上で譲りたいと考えています。そして息子には、これからも地域の方たちのためになるものをつくっていってもらいたいと思っています。

三嶋石材店

鳥居の大掛かりな工事などにも対応している

所在地:宮城県加美郡加美町宮崎字東町75ー1
TEL:0229-69-5257/FAX:0229-69-5950

いしマガ取材メモ

2011年の東日本大震災を振り返り、「自分たちのまちが一瞬にして変わってしまうことを体験した」と話してくれた康裕さん。息子の謙裕さんともども、震災後は石巻市にある金華山の鳥居を建て直したりと、さまざまなかたちで地域の復興作業にも尽力されました。
そして、お墓をつくるという石屋さんの仕事を大切にしているのも、すべては地元のため。「もしも困っている方がいたら、なんとかしてあげたい」という気持ちが、一番の原動力になっているのだと話します。施工方法を自前で考えるなど、技術面においても確かな実績を持っている、そんな三嶋さん親子になら、大事なお墓づくりも安心してお任せすることができるに違いありません。