銘店“石屋”シリーズ  金子石材店(長崎県島原市)

お墓づくりは素晴らしい仕事。この地域のお墓文化を守り続けたい。

長崎県島原市にある金子石材店は大正13年に創業。現在は4代目にあたる金子宗弘さんと、ゆくゆくは5代目を継ぐ息子の詢治さんが、親子でお墓づくりを行なっている。今回は、そんなお二人にお墓をつくることのやりがいやこだわり、今後に向けた目標などを語っていただいた。

金子宗弘さん
(昭和36年1月生まれ)金子石材店の4代目。大学時代はディスコでDJをしたり、バンドも組んでいたという音楽好き。現在は読書も趣味で、興味のあるものを幅広く読破しているという。

金子詢治さん
(平成7年1月生まれ)金子石材店の5代目。高校時代は野球部に所属。修業先の愛知県岡崎市で知り合った女性と結婚し、家族を大切にするお父さんという一面も持つ。

―まずは会社の歴史を教えてください。

宗弘 大正13年に私のひいおじいさんが創業した会社です。さらにさかのぼると、本当かどうかはわからないのですが、江戸時代に松平家と一緒に島原までやってきた家系で、もともとは年貢米を計量する係を務めていたとも聞いています。
ただし石材店といっても、創業した当時は港湾土木が中心。昔の防波堤などは、コンクリートではなく、石積みでやっていたそうですから、それこそ半島中で工事を行なっていたみたいです。
それで私の祖父にあたる2代目から、港湾土木からお墓づくりにシフト。3代目の父の代で一気に機械化が進み、お墓建立のブームもあって、すごく忙しい時代が続いたそうです。
そして現在は4代目である私と弟、それに息子の詢治、あとは従業員さんの合計4名で、リフォームや磨き直し、追加彫りなども含めて、お墓づくりに関する大抵のことをお引き受けしています。

―宗弘さんが家業に入ったのはいつ頃なんですか?

宗弘 私が20歳くらいのときでしたから、昭和56年頃ですね。その当時は大学に通っていたんですけど、ディスコが大好きで、DJも少しかじっていましたから、父から「遊んでばかりいるなら、大学を辞めて帰ってこい」と言われまして(笑)。
あと、大学時代はオールディーズのバンドでリードギターとボーカルを担当していたり。ですから、音楽は今でも大好きですよ。日本石材産業協会という業界団体の会合で、東京に行くことがあるのですが、そういうときも必ず渋谷のタワーレコードに寄って、2万円分くらいはまとめて買い物しています(笑)。

―どんな音楽ジャンルが好きなんですか?

宗弘 もともとディスコが好きなので、「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」などのソウル・ミュージックです。あとは「エリック・クラプトン」など。基本的には洋楽が中心です。

―お墓をつくる上で大切にしていることはなんですか?

宗弘 父が一級石材施工技能士の資格を持っていたこともあって、技術を大切にするということは、私の代でも大切に守り続けています。そして、仕事に関しては一切の妥協をしない。やっぱり、そのことに尽きると思いますね。
なんというか、性格的にがつがつ商売するのが苦手なんですよ。いわゆる昔ながらの職人気質といいますか、いいものをつくるためには、損得抜きでがんばってしまうことが多いです。
あと、お客様の話を聞くのも好きですね。そういえば若いときに、お施主のおばあさんのお話を正座しながら聞いていて、立ち上がった拍子に足を骨折してしまったことがありました(笑)。それだけ長時間にわたって、ず~っと話し込んでいたんでしょうね。ただ、いいお墓をつくるためには、そうやってお客様の声に耳を傾けるのはすごく重要なことだと思っています。

金子石材店が手がけた建墓事例

―ではここで、ご子息の詢治さんにお話を伺います。詢治さんは高校卒業後、全国でも有数な石材産地である愛知県岡崎市で修業をしたそうですね。

詢治 はい。父から「岡崎に受け入れてくれる石屋さんがある」と聞いて、4年間あちらで勉強させていただきました。
もともと子どもの頃から「いつかは石屋さんになるんだ」とは思っていましたが、実際に自分でやり出したら、すごく楽しかったですね。たくさんの仲間や知り合いができましたし、あと、妻と出会ったのも修業時代で(笑)。「あのとき岡崎に行っていなかったら、今頃どうしているんだろう?」と思うくらい、岡崎で修業させていただいて本当に良かったと感じています。

―今は主にどんな仕事を担当していますか?

詢治 現場の仕事全般と、あとはお見積もりの作成など。最近はちょっとずつ営業の仕事も引き継いでいて、できることを一つひとつ増やしているところです。

会社近くの菩提寺にある金子家の墓所(五輪塔は金子詢治さんが製作)

―最後に、お二人の今後の目標を教えてください。

宗弘 石屋さんというのは、ただ単に品物を売っているのではなくて、人様が手を合わせてくださるものをつくっている、本当に素晴らしい仕事です。いつも息子にも、「そのことが一番大事なんだ」と伝えているのですが、息子も今年で28歳になりましたから、そろそろ本格的に受け渡していくことも考えていきたいと思っています。
ただ、私もそれですぐ隠居するわけではなく、現場や経営をサポートしていくつもりですけどね。いずれにしましても、息子も一級石材施工技能士の資格を持っていますし、岡崎で技術をおぼえてきたという大きな強みもありますから、そのあたりを十分に発揮していってもらえたらうれしいです。

詢治 ぼくが目標にしているのは、常に一つ前よりも良い仕事を行なっていくことです。よその石屋さんの手伝いなどに行って、自分の知らないやり方や道具があると、それを研究するのも大好きで。そういうことの積み重ねによって、たくさんのお客様に感謝される仕事を目指していきたいです。
そして最終的には、この地域の〝墓守(お墓を守る人・管理する人)〟を担うような存在になれれば良いなとも思っています。地元愛が強いので、自分たちが住んでいるところのお墓文化をずっと守り続けていきたいと思っています。

 

金子石材店

自社工場で加工作業も対応

所在地:長崎県島原市萩原3-5871
TEL:0957-62-5405/FAX:0957-62-5441

いしマガ取材メモ

4代目の金子宗弘さんは、おっとりとした性格で、とても真面目な方。地元の青年会議所で理事長を務めたり、石材業界団体の九州地区担当副会長を任されるなど、周囲からの人望も厚く、「自分のところだけでなく、業界全体で向上していきたい」という言葉が印象的でした。そのため使ってみてよかった道具などは周りの石屋さんにも隠したりせず、積極的に紹介している。大きな石工事では応援部隊となってサポートにまわることもあるそうです。

ご子息の詢治さんも、宗弘さんと同じくらいに責任感の強い方。幼い子を持つ父親として、「地域のお墓文化を守ることが、家族を守ることにもなると思う」という強い決意を口にしてくれました。こんなお二人のいる石屋さんなら、お墓づくりという大切な仕事も安心してお任せすることができるに違いありません。