この企画では、彫刻家が感じている「石の魅力とは何なのか?」、「なぜ石で彫刻を作っているのか?」ということをお聞きしていきます。
今回は東京・六本木にあります国立新美術館で開催された第102回二科展で前田耕成さんにお話を聞かせてもらいました。

「東京オリンピックの前の年、1963年に真鶴の道無(みちなし)海岸で石彫シンポジウムがあったんだよね。その時、僕は高校1年生だったと思うんだけど、家族でドライブに来て、その石彫シンポジウムをたまたま見ちゃったんだよ。
そしたら脚立にまたがった黒人がノミで石を彫っていたの。それはカルディナスっていうフランスの作家だったんだけど、これは男の仕事だよなぁって思った。カッコよくて憧れたわけ。その時は彫刻なんてよくわからないし、それが誰なのかもわからないんだけれども、その時の道無海岸の景色がずっと頭の中にあった。
それで多摩美に入った時に石がゴロゴロと置いてあったんだよね。何の石か聞いたら真鶴の新小松石だった。それで石をやりたくて石彫をしていた中井先生の作業している所へ行って教えてもらった。もう徹底的にしごかれたけど、あれで辛抱できたっていうのは石が嫌じゃなかったんだろうね。

大学の時は色々な素材を経験したけど、木彫の場合はコンコン彫っていっても、とどめが無いんだよね。はね返ってこないから、それがなんとも難しかった。あとは木彫用のノミが上手くとげなかった。だから木彫は好きじゃないなぁって感じになって。
石は最初から体にピンときたね。一番はじめに新小松石を彫って、その時は石の良さはまだわからなかったんだけど、自分にはこれが一番合ってるんだろうなと思った。石は小松石から始まって御影石や大理石をやったけれども、僕の場合は小松石が一番合っていたのかな。
それはね、御影石はちょっと抵抗があり過ぎた。硬いし想っている形にするまでに、すごい苦労するわけよ。大理石は石が綺麗だから、石に引っ張られちゃうんだよね。作っていると石が綺麗だから、綺麗な作品になっちゃうんだよね。
そういうのは俺じゃないなって思って、小松を中心に始めたんだけど、小松石っていうのは非常に難しい石。でも、難しい石なんだけど、僕にとっては一番体にピッタリときた。色も硬さも、臭いもあるんだよね。あとは真鶴の辺りの風土。海があって山があって湘南はずれの、この辺がすごく好きだから続けているのかなぁ。

本小松石を使った「形体の内と外」

一番影響があったのは先生だね。多摩美の中井先生の姿勢にすごく影響を受けて、先生は「自分だけの形を作りなさい」ってしつこく言っていて。その頃は言っている言葉がよくわからなかったけど、最近はその言葉の意味がよくわかるね。
先生の作品は抽象彫刻で体の中からにじみ出るような形。ある時、先生の作品を北海道へ見に行った時に思ったのは、作品って風土で出来るんだなぁってこと。生まれ育った環境っていうのかな。景色だったり空気だったりね。そういうものが作品に入ってきてるんだよね。それがよくわかった。
何かに必ず影響されない限り、形って出てこないんだよね。人と話していて面白い言葉を聞いたとか、良い景色を見たとか、とっても綺麗な音を聞いたとか、そういうのがイメージになっていくっていうのかな。
ある人は音楽にして、ある人は文字で小説や詩を書いたり、画家は絵に表わすでしょ。彫刻家はそれが形なんだよね。僕の場合は石だった。俺らしいというか、石で作れば許せるのかなって感じ。そんな感じでものを石に置き換えるようにしているの。
もう石を45年も彫っているけど、もう歳だから自分の体で石を彫れるのはあと5年くらいだと思っているんだよね。周りから「腰を痛めたりしているんだから他の素材にしたら?」って言われるんだけれども、気持ちが動かない。まだ石が何か俺に言ってきてるから、その間は石をやる。そんな感じで石との対話をして生きているところがあるね」。