銘店“石屋”シリーズ  株式会社 山下石材(愛媛県松野町)

真剣勝負のお墓づくりで 満足を超えた感動を伝えたい。

大正12年の創業から、地元の愛媛県松野町に密着した石屋さんとして親しまれている株式会社 山下石材。今回は同社の3代目代表取締役である山下武久さんと、山下さんのご子息で常務を務める山下貴大さんのお二人に、会社の歴史やお墓づくりへのこだわり、お客さまに対する想いなどを語っていただいた。

写真左より山下貴大さん、山下武久さん

山下武久さん(昭和38年生まれ)
学生時代はバレーボール部やボート部に所属。近年は町おこしのプロジェクトがきっかけで、バーベキューの楽しさに開眼したという。

山下貴大さん(平成元年生まれ)
和太鼓が特技で、海外でのコンサートやパレードにも参加するなど、セミプロとして活動していた経歴も。またバーベキューの上級インストラクターの資格も所有している。

―まずは会社の歴史と、お二人の経歴について教えてください。

武久 会社の創業は大正12年。私の祖父が隣町から石屋の修業に来て、数年後にのれん分けをしてもらったのが始まりです。その後に父が2代目を受け継いだ頃には、機械化も進み、多いときには20人近くの職人が働いていました。
私自身は、高校を卒業してから日本有数の石材産地である愛知県岡崎市で3年間の修業を経験。21歳で地元に戻ってきて、家業の石屋を継ぎました。

―貴大さんはいかがですか。

貴大 僕はもともと石屋を継ぐ気はあったのですが、世間知らずではよくないので、一回外に出ようと、高校を卒業してから、あるお師匠さんのもとで石屋とは違う仕事をしていました。
それから父の誘いでインドに行った後、今度は営業の仕事を極めてみたいと思って、ある大手の中古車販売業に転職。ほかにもいろいろ仕事を経験しましたが、常に自分の中で目標を定め、それを達成したら次に進むというステップを繰り返してきました。
そして、地元に帰ってきたのが22歳の秋。そこから父の下で、本格的に石屋さんの仕事をおぼえていきました。

株式会社 山下石材が施工した六角宝篋印塔(奈良山霊苑に建立)

―現在の業務内容や社内体制を教えていただけますか。

武久 今は墓石の販売と、鬼北町にある「奈良山霊苑」の管理・運営が中心です。本社工場には72インチの大口径や自動切削機、オフカット、自動研磨機、手動研磨機、字彫り機など一通りの機械がそろっていますので、お墓の加工や磨き直しなども可能です。
従業員は、そうした機械をすべて使いこなす加工の担当者が1人。文字の段取りは私と専務が担当。あとは社内に3人一組の施工班があり、外注の施工班が一組あります。ほかにも墓地洗浄などをお任せしている外注のチームがいます。
そして事務所のほうにはCADデザイナーと事務員がいて、経理は専務が担当。営業に関しては、常務が中心となって行なっています。

―普段の仕事ではどんなことを心掛けていますか。

武久 まずはお客様の希望や想いにしっかりと耳を傾けたうえで、お墓のプロとしての提案を行なうようにしています。もしかしたら、もっとお客様の理想にかなったお墓が見つかるかもしれませんからね。大切なのは、お客様から言われたままにしてしまわないこと。本気でお客様のことを考え、思ったことはきちんと伝えて、真剣勝負で対峙していく姿勢にこだわっていきたいと考えています。

―そんな御社にとって、「よいお墓」の定義とはなんですか。

武久 常々、お墓参りに行きたくなるようなお墓にしたいと思っています。そのためには、お墓参りに行かなくなってしまう原因を取り除かないといけません。たとえば掃除ですね。行く度に掃除が大変なのでは、どうしたって足が遠のいてしまいます。
そういう意味でいくと、掃除のしやすいお墓、管理の容易なお墓にしていくことが重要。レイアウトを工夫することで、「お墓参りに行きたくないな・・・」というマイナスの思考をできるだけ減らすようなことも心掛けています。
あとは、ずっと眺めていられる、心が落ち着くといった要素も大切にしたいですね。そうすることで、ご先祖様とゆっくり会話をしていただくことができる。最終的には、それが「よいお墓」のもっとも根本的な定義なのかもしれませんね。

毛筆で書いた文字をお墓に刻んでいく。

―武久さんは、地元でのいろいろな活動にも力を入れていますね。

武久 若い頃から地元の松野町が大好きで、「地域のために何かをしたい」という気持ちがあるんです。青年団や商工会青年部、NPO法人のまちづくり団体、消防団などには岡崎から帰ってすぐに入りましたし、あとは本業に関することでいいますと、南予石材組合の青年部も結成しました。あとはバレーボールや和太鼓、マラソンのチームをつくったりと。

貴大 僕も子どもの頃から、その和太鼓チームに入っていて、今は代表をしています。ただ、その当時の父はいつも家にいないので、家族は大変でしたけどね(笑)。

武久 その点は自分でもすごく反省しているんです。家内が病気を患って亡くなってしまったのも、私に原因があると思っていて。一度はすべての活動をやめて、家内に寄り添っていたのですが・・・。

―そんなことがあったんですね。

武久 亡くなってしばらくのあいだは随分落ち込みました。ただ、そのことがきっかけで、お墓の勉強会や倫理法人会の活動に参加するようになり、そこでの学びや活動を通して、お墓に対する意識が大きく変わり、自分の仕事を見つめ直すことができた。あのつらい経験があったからこそ、今の自分があるんだと考えています。

―最後に、今後の目標を教えてください。

武久 お墓が死者と生者をつなぐものであるということが、最愛の家族を亡くしたことで、より深く実感しました。この経験をもとに、お墓をつくるだけでなく、そういったお墓やお墓参りの意義をもっとたくさんの人たちに伝えていきたいですね。

貴大 お墓を建てることで、大切な人を失って悲しんでいる家族の方から「ありがとう」と言っていただける。本当にそんな職業はめずらしいと思います。

武久 だからこそ、私たちは想像を超える感動を大切にしなくてはならない。そのように考えています。よい仕事を通して、ご満足いただくのは当たり前。その上の感動を与えられるようにしていきたいと思います。

貴大 あと、弊社は2023年で創業から100周年を迎えます。これからも「山下だからこそできること」にこだわって、たくさんのお客様のお墓を守っていきたい。そして、地域になくてはならない、社会貢献のできる石屋であり続けたいです。

 

株式会社 山下石材

工場内には一通りの石材加工機械が揃っている。

所在地:愛媛県北宇和郡松野町大字松丸310番地
TEL:0895-42-0136/FAX:0895-42-1566
ホームページ:https://y-ishiya.com/

いしマガ取材メモ

株式会社 山下石材が長年にわたってお墓をつくり続けてこられているのも、常にお客さんが求めている以上の満足を実現してきたから。お二人のお話を聞いていて、そのことがひしひしと伝わってきました。そうした姿勢を支えているのは、「お客さんのために全力を尽くしたい」という気概と、身近な方の死を経験したために知ることのできた「お墓って、こんなに素晴らしいものなんだ」という強い想い。さらにアフターフォローやレスポンスを早くする、お客さんが自分の希望を伝えやすい空気をつくるなど、貴大さんが様々な経験を通して培ってきた営業力も同社の強みです。「お墓のことはほとんどわからない」という方でも、同社なら安心して相談することができるに違いありません。