銘店“石屋”シリーズ  國松石材 株式会社(福岡県福岡市)

歴史に恥じない仕事を通して、みんなを笑顔にしていきたい。

享保2(1717)年に創業し、実に300年以上の歴史を誇る福岡県福岡市の國松石材 株式会社。地元の神社・寺院から寄せられる信頼も厚く、まさに福岡を代表する銘店の一つといえるだろう。今回は同社12代目の國松祥治(しょうじ)さん、施工担当の髙松大翼(だいすけ)さん、営業担当の古賀亮(りょう)さんに、会社の歴史や仕事への想いなどについて伺った。

國松祥治さんを中心に写真左が古賀亮さん、右が髙松大翼さん

國松祥治さん(昭和60年生まれ)
趣味は魚釣り。佐賀や唐津の沿岸に、食べられるおいしい魚を釣りに行き、大海原に浮かんでいるのが好きなのだとか。

髙松大翼さん(平成2年生まれ)
2019年より、サラリーマンから転職して同社に入社。ラグビーが趣味で、現在も草ラグビーのクラブチームに加入している。

古賀亮さん(平成2年生まれ)
2019年より、飲食業界から同社に転職。料理が好きで、家族と一緒においしいものを食べているときが一番の幸せという。

―まずは御社の歴史を教えてください。

國松 創業は江戸時代の享保2(1717)年。初代國松善兵衛より次男筋にあたる國松仁右衛門に受け継がれ、私で12代目になります。長男筋にあたる國松藤助の代も8代目まで続いていました。この仁右衛門という方は相当な怪力の持ち主だったようで、普通の人では上げられないような大きな原石を持ち上げて川に投げ入れたという逸話が残っています。
ちなみに、大野城市・太宰府市にまたがる四王寺山には、江戸時代後期の寛政12(1800)年に4代目の國松市三郎が彫ったと伝えられている磨崖仏(岩に浮き彫りされた仏像)と千手観音が、今も残っているんです。これは「四王寺三十三体石仏第3番札所 33ヶ所の中の唯一の磨崖仏」として、大野城市の特別史跡にも指定されています。

―國松さんご自身の経歴についても教えていただけますでしょうか。

國松 私は高校を卒業してから中国に留学していました。まず最初に語学留学として福建省で2年、その後は上海の大学に編入して3年ほど。もともと中国の歴史や漢字文化に興味があって、「いつか行ってみたいな」と思っていたんです。
人生のターニングポイントになったのは、大学を卒業した23歳のときでした。先代の父が出張で中国に来たときに、私がアテンドみたいな役割で付き添っていて、新幹線の車内で「石の仕事に興味がないか?」という話になったんです。ちょうどその頃、日本の石屋さんが参加する北京の石造物ツアーに参加して、「石って面白いな」と思っていたこともあり、そろそろ帰ろうかなと。それが石屋の仕事を始めるきっかけになりました。
そして25歳のときに戻ってきまして、その半年後に、お墓の勉強会に参加。そこからはもう、この仕事にどっぷりですね(笑)。中国へ留学していたときに、石材商社で働いていた時期もあったので、石の見方や石種、加工などはある程度まで知っていましたし、あとは石工の技能検定を受けるなどして、少しずつ石の技術や加工をおぼえていきました。

國松石材株式会社が石工事を担当した施工例

―現在のおもな仕事内容は?

國松 お墓づくりを中心に、あとは神社仏閣の石造物や記念碑の工事などですね。あくまでも私たちの本分は、お墓などの人の気持ちや心がのるものにあると考えていて、昔から建築材は扱わないと決めていたんです。
ただ、最近は少し事情が変わってきています。福岡城の石垣工事を請け負ったときに、石積みの面白さにハマってしまったものですから、この分野をもっと極めていきたいと考えるようになりまして、会社としても力を入れ始めているところです。

―お客さんはどのような方が多いですか?

國松 まず一つは昔からのつながりがある神社やお寺さんです。とくに福岡の名だたる神社さんは、先祖代々のお付き合いがありますので、ありがたいことに直接ご相談をいただくことも多いです。
それに地元のお客様も多くいらっしゃいます。近隣にお住まいの方の中には、小さい頃にうちの工場を遊び場にしていたというくらい身近に感じていただいている方も少なくありません。あとはイベントなどを通して弊社のことを知ってくださり、お墓づくりをご依頼いただくケースも多くあります。

國松石材株式会社では大規模な石工事にも対応している。

―ではここで、施工と営業のそれぞれの担当者さんにお話を伺います。まずは自己紹介からお願いできますでしょうか。

髙松 施工を担当している髙松大翼と申します。今とくに力を入れているのは石積み工事で、個人的に勉強したり、出張でいろいろな積み方や加工の仕方を学んでいます。それと、もう一つは道具の手入れ。出張中にお世話になった方から感銘を受けて、一つひとつの道具の吟味や手入れにも、すごくこだわるようになりました。

古賀 私は飲食関係から転職して、最初の1年ほど現場の仕事を経験した後、現在は営業の仕事を担当させていただいています。お客様の中には「先代のときにお世話になったから」とご連絡をくださる方もいて、これまでの先輩方のがんばりに助けられているなと感じることも多いです。

―仕事で大切にしていることは何ですか?

髙松 100年や200年など、ずっと残るものをつくっている、という想いを忘れず、常に自分が持っている力を100%出し切っていくこと。どんな仕事に対しても、「やるからには最高のものをつくりたい」と思っています。

古賀 私は段取りと下準備です。それに、まだできていないものをどうやってお客様にお伝えしていくか。そういったコミュニケーションの部分も常に意識して、最善の提案ができるように心掛けています。

―最後に社長も含め、今後の目標をお聞かせください。

國松 私の役割は「つなぐ」ことだと思っています。まず何よりも、先祖に対して顔向けできないような仕事は絶対に行なわず、子孫に向けて、この石屋の仕事をつないでいくこと。そのことが結果的に、たくさんのお客様とのつながりを育むことにもなっていくだろうと思っています。

髙松 私は石張りや石積みの技能検定などを通して、自分の知識や技術を上げていくことが当面の目標です。

古賀 私もまずは、お墓ディレクターの資格取得を目指し、先輩方が築き上げてきた歴史を受け継いでいきたいと思っています。

國松 石屋は一生懸命にやったことが、お客様からの感謝というかたちで、しっかりと返ってくる仕事。決してただの物売りではありません。これからも、この石屋というやりがいのある仕事を通して、社員やその家族を含め、みんなが笑顔になれるような会社を目指していきたいと思っています。

國松石材 株式会社

所在地:福岡県福岡市中央区平和3-12-27
TEL:092-401-4194/FAX:092-401-4189
ホームページ:http://www.kunimatu.com/

いしマガ取材メモ

今回ご登場いただいた髙松さんと古賀さんは、どちらも國松社長とは地元の祭りの山笠や学校の先輩後輩という間柄。「信用できて頼りになる仲間を増やしていきたい」という想いから、國松社長が直接口説き落として、入社してもらったのだとか。そのためもあってか、お互いに深く信頼し合っている様子が非常に印象的でした。
そしてもう一つ、今回の取材で印象に残ったのが「図面にあるものだけを鵜呑みにするな」という國松社長の言葉。その一言に、磨きや加工へのこだわりを通して、石にしか表現できないものを後世に残していこうとする同社の強い気概が表れているように感じられました。